ログイン
19/04/03 17:13
おばあちゃんとのお別れ
書くの10月ぶり(笑)
おばあちゃんが3月30日7時33分に天国へ旅立っていきました。
最期は家族全員で看取った。
悪性リンパ腫と診断されてから7ヶ月でした。
10月から抗がん剤治療、12月に放射線治療も頑張ってたけどやはり病気の勢いには勝てず
抗がん剤治療してると、白血球が少なくなって免疫力も下がって、風邪をひきやすい状態になるらしい
2月の中旬にインフルエンザになって、そのまま肺炎になって入院した
入院してからは歩いたり、ご飯食べることが難しくなった
ご飯食べるのも誤嚥性肺炎になる可能性があるので命懸けの食事になってしまう
インフルエンザ&肺炎なので、もちろん抗がん剤治療も中止になった
水分をちょっとだけ摂取して、点滴だけで生きてた状態やったけど、見た目は元気でよく喋ってた
あとどれぐらい生きれるか分からんけど、会える時は会っておこうと思って、仕事帰りと休日は会いに行ってた
そんな状態が3週間くらい続いてたけど、やはり抗がん剤やめたから癌が痛むらしく鎮痛剤を使うようになってきた
亡くなる1週間前ぐらいから、寝てても肩で息をするようになって話すのもしんどそうやった
お酒全然飲まれへんくせに「ヤケ酒したい〜」とか言ってたから、病気が相当しんどかったんやと思う
亡くなる2日前の3月28日15時に病院に1人で行くと、亡くなる数時間前〜数日前にするという噂の下顎呼吸が始まってた
おかしいと思って看護師の人呼んだけど、特に問題ないと対応してもらえず
17時ぐらいに昼勤と夜勤の看護師さんが入れ替わって、夜勤の人にもう一度話すと、バイタルのチェックしてくれて心拍数170・血圧は測定不能ですぐに色々と対応してくれて、家族の人も呼んでください!っていう状況になった
夜勤の看護師の人が来てくれるまで不安で押し潰されそうで、このまま1人で最期を看取らなあかんのちゃうかとか考えると逃げ出したいぐらい不安と恐怖でいっぱいやった
けど、おばあちゃん1人にしてその間に死んでしまったら…と思うとトイレにも行けなかった
しばらくして家族みんな集まって、「どうなってもおかしくない状態です。おそらくこのまま心拍数が落ちて最期を迎えると思います。」と医師から告げられた
おじいちゃん、おかん、おかん弟、自分、妹の5人で病室にいたけど、5時間ぐらい経っても心拍数170をキープし続けてたので交代で見張ることにした。
おじいちゃん、おかん、妹が28日の22時ぐらいに家に帰宅
残った自分とおかん弟(叔父さん)で病院に泊まることに。
夜中から心拍数がさらに増えて、180〜190ぐらいになった。心電図のモニターがずっと警告音?なってて仮眠もできんかった
夜中の2時30分頃に180〜190をキープしてた心拍数が急に39になったり60になったりして乱れ始めた
やばい!!と思って寝てる家族に電話して急遽来てもらうことに…
おじいちゃん、おかん、妹が到着するまでに小一時間かかった
その間、おばあちゃんに話しかけ続けた
話しかけないと意識が遠くなって心拍数やら酸素やらが乱れてしまう
おばあちゃん!!と話しかけると、意識が戻ってきて目もパッチリ開いた
でもまた数秒したら意識が遠のいて目も閉じて…の繰り返しで、この状態が家族集まるまで保ちますように!って祈りながら声を掛け続けた
次に続きます
:
0
*
←
[top]
→
#
-エムブロ-