何も確かめずに、好きだという気持ち一つで、他の全てに蓋をしたままでいれば、
人の一生だって、あっという間で終えられるだろうか。

きみが言葉をかける、世界が鮮明になる、
そしてぼくは消える。

努力をして、他人に合わせたふりをするのも、疲れてしまったんだ。
足りないままで許されたいな。


窓の外に出ても、歩き進んでいけば、
再び同じような窓がある。
鏡の中の鏡。
つまり、どこにも行けない。

広いベッドと、シワシワになったシーツ。
簡素なホテルの部屋は静かで、
ひとりきりで残されたのに、なぜか救いのように感じた。

このまま、ずっとひとりで、誰とも関わらずに終わりたい。
誰かと繋がったあとはいつもそう、余計に空白が生まれる。

傷付いて流れ出た血を止めるように、ぎゅっと抑えて。
ぎゅっと抑えて、全てを遮断する。
そうして、傷が癒えるのを待つ。
何も聞かずに、静かに、ずっと。


長所はどこですか?と聞かれる。
そんなものはない、と思いながら、適当に嘘を言う。
では、短所は?と聞かれる。
うまく生きていけないところだ、と思いながら、適当に嘘を言う。
苦い言葉を飲み込んで、胃酸で無理矢理じゅっと溶かす。
少しずつ寿命を削って、心をすり減らして、
それでやっと、普通の人間に近づく。


結局、
余裕のある人だけが誰かの未来を祈ることができるし、
余裕のある人だけが誰かの祈りを受け取ることができる。

優しさとか、もう、分からなくなりたい。


無機質な窓から見える、無機質な街の明かり。
笑ったときに覗く、不自然なほど白い歯。



胃酸/ホテル/歯

旅路

大切なものは、目には見えないけれど、重さはあるって知ってた?

悲しみは、かき混ぜると水に溶けるんだ。
水溶性なんだね。

黒板に流れるように綴られる文字。
長い髪をかき上げて、纏める
細く白い指先。

一人でも、なるべく遠くまで歩いていけるように、と
きみがくれたお守り。
光にかざすと逆光で、何も見えなかった。


欠けたグラスは、満たされない心の代名詞。
傾いた天秤は、生まれた罪の重さの証明。
止まった時計は、いつか来る終焉のことを指している。

物事には一つ一つ意味があるんだ、と説明をする、落ち着いた声。

「きみたちは不条理な世界に生きているのだけれど、それでも全体としては、人生を愛さなくてはならない。」


悲しみは涙に溶けて、河となり、海に、雲に、やがて雨となって、再びぼくらに降り注ぐ。
一人で何を犠牲にしたって、
これを最後に、とは、ならないのだよ。

覚えてる?
生まれて初めて世界を見たとき、綺麗だったね。
初めて見た空の青、雲の白、夕陽の燃えるような赤。
人生はそんな綺麗な世界の一部なのだと知って、誇らしくさえ思ったね。


別れ道。
ぼくたちの道は、ここまで。

ズルも弱さも、今は、見なかったことにして。
胸には、きみがくれたお守り。
ぼくもきみも、一人で。
一人でなるべく遠くまで、行けますように。



グラス/天秤/髪

記憶

ふわふわ。
浮かんで、消える、
しばし魂に例えられるもの。

ドレミファソラシド。
歌いながら小道を歩いて
お気に入りの花が咲く丘へ。

足りないもの、埋まらないままだって、分かってた。
不完全な生き物に、完全なものは創れない。
ごめんね、って声が泣いてて、
ぼくは振り返らなかった。
ずっと光が差す方を見ていたよ。


形あるものを空にかざすと、
形ないものを映し出す。
コール・アンド・レスポンスさ。
誰もいない丘の上。
ポケットの中のビー玉で、教わった魔法を試してみる。
ビー玉は光を透過して、影までも水色。
このまま、心まで透過して。
ずっと遠くまで行きたい。


言葉は心に刻まれて、最後まで残る、と思えば
足りないものなんて大したことはないよ、って。
抱きしめた、
遠い昔の記憶。


雲の隙間から光が差し込む。
その一瞬に大きく息を吸って、吹きかける。

どんなものにも終わりはあるって分かっているから、
少しでも長く、と願うのだ。

できるだけ長く、できるだけ遠くまで飛んでね。
みんなが知らない綺麗な景色を、たくさん記憶に残してほしいな。


ふわふわ。
触れられないこの重さは
しばし魂に例えられるもの。

綿毛は風に乗って空に。



ビー玉/雲/綿毛

仕事

青空にぽつり、取り残されたような小さく白い雲。
きみが消えてしまった理由、ぼくは知ってる。

いつも、少ない言葉で伝わるものが世界の中心だった。
簡単に伝わらないものは異物で、道の端を歩いて渡る。

歩道橋の手すりをカンカンと叩いて、きみは歌を歌った。
空の青さを讃える歌だった。



「世界と世界の間を区切る河川のように、人と人の間にも、境界線があってね。」

マフラーを頬のところまで上げて、冷たい空気を遮断する。

「事前の合意なしでは、決して入ってはいけない領域があるんだ。その全てを初めから理解しているひとと、概念すら持ち合わせないひとがいて、」

振り返らずに先を歩く後ろ姿を、目で追う。

「そこにも当然河川は流れている。お互いを知っている部分なんて、表面のほんの少しでしかない。」

きみが傷付いていること、ぼくは知っている。
けれど、きみのために何かを失うだけの勇気が、ぼくにはない。

「変化に対応できる生き物だけが生き残ると言うけれど、絶滅しないっていうことがそんなに大事なことなのか、正直ぼくは自信がないな。」

この先、大きなものに轢かれませんように。
端でもいいから、ずっと道を歩いていけますように。
きみが、この世界でずっと、安全に生きていけますように。


誰も指摘しない、たくさんの小さな矛盾。
全て、優しさでできたものだから
石を投げる権利は誰にもない。

気持ちがいくら分かっても
できる仕事というのは、あまりに少ない。
寂しいけれど。


冬の棘、光、悪気はないんだぜ。
息を吐いて束の間、白く変わる空気。



青空/仕事/盾

星座

夜の澄んだ空気に、星が煌めいている。
もこもこに着込んで、流れ星を待ちながら、生き物の歴史について考える、冬休み。

悲しかったこと、いつか、笑って思い出せる日が来ますように。

母親のカシオペアと、娘のアンドロメダ。
その下に、父親のケフェウス。
覚えたばかりの星座、繋いで。

呪いなら名前を知れば解けるって、もし本当だったなら、
叶えたい夢があります。

あ、流れ星。
悲しかったこと、いつかーー。


正しい教育だけでは、こぼれ落ちてしまうものがあるということ。
あなたにも見えないものがあり、救えないものがあるということ。
それでも冷たい河を泳いで、わざわざ人に会いにゆく。
人と生きる道を選ぶ。


寒ければ寒いほど、色鮮やかに輝く冬の星。


生きているだけでいい、とは、ならないから、なかなか。
正しい言葉では表せなかったこと、せめて、詩にして、歌にして、
宝石みたいな夜に添えよう。


世界のどこかに、わたしにそっくりの神様も、いるかな。
いつか会える日を、待っているよ。



母親/教育/冬休み
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