銀河

ぼくたちの魔法はいつも誰かのためのものだった。
綺麗なものや美しいものは、それだけで何か意味を持つように見えるから、
中身は空っぽでも大丈夫。

歩いて、歩いて、歩き通した、その先にあったのは、
暗闇に包まれた銀河の無数の星。
街を抜けて、空を抜けて、地球を抜けて。
最後はみんな、生まれたところに帰るんだとしたら、
ぼくたちはずいぶん遠回りをしてしまった。
良かった。少しずつ救われるよ。
背中の翼もほら、戻ってきている。
失くしていただけだったんだ。

歩いて、歩き通して、
両足はもうぼろぼろになってしまった。
どうしても考えてしまうな、初めから翼があれば、さ。
責めるつもりじゃない、
ただ純な心で聞きたいの、
壊して、壊れてまで、旅をする理由ってなに?


「やがて、隣同士にある舟も、風の流れとともに離れていってしまう。」

「今あるこの距離は、これから縮むことはなく、このままゆっくりと、確実に離れていくのさ。」

「それでも最後に愛は残ると、言ってくれる?」

きら、きら、と星が呼応するように光る。
愛は残るよ、と星たちは歌っている。

ぼくはひとり遠くでその光景を眺めていた。
それは美しい光景で、ぼくらの愛の終わりでもあった。

きみと星たちはどんどん先に進んでいって、遠ざかっていって、小さな点になって、いつまでも点のまま。


ーー綺麗なものや美しいものは、それだけで何か特別な意味を持つように見えるから……

誰も居ない部屋に、冷めてしまったスープ。
そのまま霞んで、消えて、忘れてしまって。


おやすみ。
ずいぶん遠いところまで来たね。
長旅は疲れた?
銀河では、一年だろうと、一兆年だろうと、
たいした違いはないの。
触れられないなら、どちらも同じ。
どちらも遠い小さな星、それだけ。



背中/スープ/おやすみ

目的地


変われるような気がした。
その気持ちだけで、
その気持ちを思い出すだけで。

──じゅうぶんだよ。

君の声は優しい。
陽が落ちたばかりの薄いグレーの空に浮かぶ、一番星。

受け継がれたバトンを胸に、迷い込んだ森の中。
おとぎ話の主人公のように帰り道を失くして、僕らはそれぞれ一人で行く。


切り取られた一つ一つの風景。
木々を抜ける風や、
静かに降りる夜の帳。
お気に入りのマグカップを二つと、
小瓶にコーヒー豆を詰め込んで。
素晴らしい景色と音楽。
でも、
(結局、何が言いたかったんだっけ?)


歩き疲れた頃、後ろに道は生まれている。
ため息ごと包まれて、夜。
何かを成し遂げたように見えて、ただ大きなものに動かされているだけ。

優しくされたぶんだけ優しくなって、また誰かに優しくしたくなって、そんな風に世界は回っていくと、思ってた。
溢れた想いを映し出す湖面。
静かに澄み渡る僕の森。

(この想い、この記憶を、君は何と呼んだんだっけ?)
 

不意に思い出した光景。
今にも壊れそうな、古ぼけた光景。
傷跡を撫でようとして触れた、
指先の、ほんの少しの弱い力が瓶に触れ、
夢は地面に散らばった。


──ごめんね。

よく聞こえなかった言葉の続きを、
聞き返すより早く、優しい声が耳を塞ぐ。

──そのバトンは受け取れない。君の旅は、ここで終わるよ。

立ち尽くした僕の背中を
涼しい夜の風が通り抜けてゆく。

切り取られた一つ一つの風景。

──さよなら。魂の旅は、ここで終わるよ。



バトン/コーヒー豆/僕の森

行進

「考えないようにしたって、無くなるわけではない、と思うんです。」
名前のない、旅の途中。

小さな白い箱の、中身を見ないように蓋をして、目を閉じた。
足りないものは漠然としていて、正しく言葉にすることができない。
ぼくにしか見えない、にぎやかな幽霊たちとパレード。
紫陽花色の下り道。

「思い込みが強いのならば、その思い込みを、明るい方に持っていけばいいよ。永遠に幸せが続くとか、そういう。」

白、水色、紫、鮮やかに吸い上げて。
揚々と歌う、子どもの頃に聞いた歌。

言葉をどれくらい持っているかは、人それぞれだから、
語られるものが全てだなんて、思わないように。
自分で自分を守ってね。

全然大丈夫じゃないのに、にぎやかな幽霊と行くパレード。
紫陽花色の下り道。

「どうせ、見たいものしか見えないのだから、好きなものを映したらいいよ。」

空を見上げて、水色眼鏡。
おどけて笑って、このまま、この景色だけ、持っていきたい。
みんな幸せに、なんて、とんだ嘘吐きだった。
必ずしも誰もが幸せになるとは限らないのだけど、それでも一度くらい良いことあるよ、あたりが妥当だったと思う。
幽霊、悲しかったね。
言えないことがあったね。
死因なんて、もういい。
忘れてしまおう、今は。


「考えないようにしたって、無くなるわけではない、と思うんです。」

雲は閉じ、旅は振り出しに戻る。

この道はどこへ続く?
案内板は雨に滲んで、先は深い霧の中。
白、水色、紫、見えない想いを吸い上げて。
凛々と続く、ぼくらのパレード。
紫陽花色の下り道。



嘘吐き/眼鏡/死因

何も確かめずに、好きだという気持ち一つで、他の全てに蓋をしたままでいれば、
人の一生だって、あっという間で終えられるだろうか。

きみが言葉をかける、世界が鮮明になる、
そしてぼくは消える。

努力をして、他人に合わせたふりをするのも、疲れてしまったんだ。
足りないままで許されたいな。


窓の外に出ても、歩き進んでいけば、
再び同じような窓がある。
鏡の中の鏡。
つまり、どこにも行けない。

広いベッドと、シワシワになったシーツ。
簡素なホテルの部屋は静かで、
ひとりきりで残されたのに、なぜか救いのように感じた。

このまま、ずっとひとりで、誰とも関わらずに終わりたい。
誰かと繋がったあとはいつもそう、余計に空白が生まれる。

傷付いて流れ出た血を止めるように、ぎゅっと抑えて。
ぎゅっと抑えて、全てを遮断する。
そうして、傷が癒えるのを待つ。
何も聞かずに、静かに、ずっと。


長所はどこですか?と聞かれる。
そんなものはない、と思いながら、適当に嘘を言う。
では、短所は?と聞かれる。
うまく生きていけないところだ、と思いながら、適当に嘘を言う。
苦い言葉を飲み込んで、胃酸で無理矢理じゅっと溶かす。
少しずつ寿命を削って、心をすり減らして、
それでやっと、普通の人間に近づく。


結局、
余裕のある人だけが誰かの未来を祈ることができるし、
余裕のある人だけが誰かの祈りを受け取ることができる。

優しさとか、もう、分からなくなりたい。


無機質な窓から見える、無機質な街の明かり。
笑ったときに覗く、不自然なほど白い歯。



胃酸/ホテル/歯

旅路

大切なものは、目には見えないけれど、重さはあるって知ってた?

悲しみは、かき混ぜると水に溶けるんだ。
水溶性なんだね。

黒板に流れるように綴られる文字。
長い髪をかき上げて、纏める
細く白い指先。

一人でも、なるべく遠くまで歩いていけるように、と
きみがくれたお守り。
光にかざすと逆光で、何も見えなかった。


欠けたグラスは、満たされない心の代名詞。
傾いた天秤は、生まれた罪の重さの証明。
止まった時計は、いつか来る終焉のことを指している。

物事には一つ一つ意味があるんだ、と説明をする、落ち着いた声。

「きみたちは不条理な世界に生きているのだけれど、それでも全体としては、人生を愛さなくてはならない。」


悲しみは涙に溶けて、河となり、海に、雲に、やがて雨となって、再びぼくらに降り注ぐ。
一人で何を犠牲にしたって、
これを最後に、とは、ならないのだよ。

覚えてる?
生まれて初めて世界を見たとき、綺麗だったね。
初めて見た空の青、雲の白、夕陽の燃えるような赤。
人生はそんな綺麗な世界の一部なのだと知って、誇らしくさえ思ったね。


別れ道。
ぼくたちの道は、ここまで。

ズルも弱さも、今は、見なかったことにして。
胸には、きみがくれたお守り。
ぼくもきみも、一人で。
一人でなるべく遠くまで、行けますように。



グラス/天秤/髪