March.14.Tue 23:36
category:思考





今度、母親とご飯を食べに行きます。

とりあえず今見せかけだけでも母親と良好な関係を続けていられるのは、摂食障害のわたしを存在しなかったことにしたからだと思う。毎日過食に明け暮れて、病気の真っ只中にいるのに、ね。理解なんて得られなくて、だけどもうそれに向き合うことは辞めちゃった。無かったことにするほうが、楽だから。哀しくなるときもあるけど。精神的なものに理解のある人もいれば、それを理解し難い人もいる。たまたま周りに理解がなかったから、それはもうどうしようもないことなんだと思ってる。言葉に出来ないこともたくさんあって、経験しなきゃわからないような葛藤がたくさんあって。そんな感情を説明するなんて、わたしには出来なかった。くるしいとかつらいとか、聞いていて気が滅入りそうな感情を他人に伝えることにも抵抗を感じるし。必死に伝えても簡単に否定されてしまうなら、それって、ただ心を消耗するだけだと思うから。なら、傷つかないように生きたいよ。解ってもらえないと解ったなら、もう理解や助けを求めたりしない。

だけどわたしは今でも受け入れてもらえなかったことを引き摺ってる。正確には良い子じゃなくなってしまったわたしを否定されたことを。ずっと前から不安定で通院していることも、薬を飲み続けていることも、こんな病気だということも言えなかった。言いたくなかった。それがわたしにとってマイナスな要素にしかならないと自覚していたから。今でも良い子でいられるように、表面を取り繕うことばかり気を取られてる。

そして、しっかり仕事して収入の一部を実家へ仕送りすることが良い子を努める上でのわたしの役目だった。でも過食し続ける生活は日々悪化を辿る一方で。給料はみるみるうちに過食費用に消えて無くなって、すぐにわたしはその役目を果たせなくなった。むしろ、負担をかける存在になってしまった。入院することになり今までしてきた仕送りが急に出来なくなって、費用が嵩むのに仕事復帰の目処も立たない。この経済的な問題は、金銭へ執着の強い母親の顔色を大きく左右することになったと思う。

良い子でいたわたしの影も形もなくなると、自分の存在する価値は無くなったように感じた。やっとの思いでこれまで言えなかった病気のことを伝えたけど、わたしの病気も、人格も、甘えだと否定されてしまう結果になって。絶望した。良い子でも何でもない本当のわたしは受け入れてもらうことが出来なかった。

患部が見えない。それは病気じゃない。ただの怠慢だと、怠けて働かない人間は悪だと、投げつけられた言葉はどれも刺々しくて痛くて。抉られるように傷ついた。打ち明けたことを、酷く後悔した。

説得する気力も湧かなかった。何もかもが面倒になって理解なんて要らないと思った。ただこれ以上もう関わりたくなくて。もうむやみに傷つかなくて済むように、わたしは退院して嘘をつくことを決めた。良い子をもう一度つくればいい。仕事へ復帰したことにして、そして少しだけ仕送りを再開すると、驚くほどわたしへの態度は変化した。そんな母親にはより嫌悪感を抱くことになったけど、もう鋭利な言葉を浴びせられることがないのだと思うとほっとした。退院後、本当は今まで以上に諸々症状が悪化して、過食回数は増えるし下剤は乱用するし、自傷行為で身体中が傷だらけになって、外へ出ればパニックを起こして過呼吸になって。ぐちゃぐちゃだった。どうにかしようと一人でたくさん足掻いて試行錯誤したけど、仕事も既に多くの支障が出ていて退職するという選択肢以外は残されていなかった。誰にも相談も出来ず、本当のわたしは否定されたまま、取り残されたように流れていく時間。

求められていたのは、良い子に成りすましたわたし。わたしじゃないわたし。必要のないわたしは、必要なわたしに笑顔をつくらせて、未だ嘘をついたまま、これからも嘘を重ね続けるでしょう。




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痩せたらわたしに言えるんだ。
大好きだよ。愛してるよ。


     




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