【埼玉】神川町で最後の「裸まつり」

下帯姿の男たちが赤飯を投げ合って子孫繁栄を願う「裸まつり」が、埼玉県神川町で開かれました。
江戸時代から続く毎年恒例のまつりですが、過疎化や高齢化などを理由に来年以降は開催しない方針で、最後の祭りをみようと多くの見物客が訪れました。

「裸まつり」は、神川町の有氏神社に江戸時代から伝わるとされる伝統の祭りですが、運営してきた氏子のグループは、過疎化や高齢化による担い手不足などを理由に、来年以降の開催を取りやめることにしています。
19日は氏子たちが、炊きたての5升の赤飯が入った桶を運び込み神職からおはらいを受けたあと、下帯姿の7人の男たちが桶を担ぎながら「上げろ、下げろ」とかけ声を上げながら境内を巡り、赤飯をつかんでは上空や見物客に向けて繰り返し投げていきました。
赤飯が触れたり受け取って食べたりすると、お産が楽になるとか元気に冬を乗り切れるという言い伝えがあり、集まった人たちは両手を大きく広げ、赤飯を求めていました。
来年1月に出産予定の28歳の女性は「赤飯を食べることが出来たので安産に期待したいです」と話していました。
氏子の男性は、「氏子も高齢化が進んでいて中止は仕方ありませんが伝統の祭りがこれが最後だと思うと大変残念です」と話していました。
www3.nhk.or.jp

【東京】朝9時の「日本一のソープ街、吉原遊郭」を散策してみた

東京・浅草の鷲神社の裏手には台東病院と吉原神社、さらにその奥は日本一のソープランド街「吉原」が広がっている。
この地の酉の市が江戸時代からにぎわっているのは、当時一大歓楽街だった吉原遊郭があったからだ。
遊女たちは酉の市の開催日に限り、廓の外に出て参拝することができた。

出勤前に酉の市の様子を見学した筆者。ここまできたのだからとソープランド街を散策することにした。多くの店は9時スタート。
何人かのボーイに声をかけられた。ボーイといっても白髪交じりの年配者ばかりだが。

条例で客引きが禁止されておりボーイは店の敷地から声をかけるだけ。行く手を阻まれることはない。
よくいえば条例遵守、悪くいえば行政の統制下におかれている。
吉原は送迎車のサービスが一般化しているが、これはJRの駅から遠いのと、昔は客引きが強引で一般男性がおちおち歩けなかったからだ。

現行の新風俗営業法では店舗の建て替えが禁じられている。建物の正面は派手だが、裏にまわると老朽化は否めない。

長引く不況で経営も厳しいのだろう、駐車場に転用されている場所も少なくない。
一角にはファミリー向け大型マンションも建っている。子供を自転車に乗せた主婦も普通に見かけた。
風俗街としての吉原はいずれ消滅するだろうと言われている。

女性向けホテルの前を通りがかった。地方在住でたまに東京に出て吉原で働く、あるいは終電に間に合わないコンパニオンが利用しているのだろう。

吉原を後にして入谷駅に向かう途中で、一人の女性とすれ違った。
日比谷線で見かけたOLたちよりずいぶんと質素な服装で、顔にやや生気がない。ほどなく彼女はある店舗に吸い込まれていった。

かつて吉原遊郭は「おはぐろどぶ」と呼ばれた堀で四方を囲まれていた。
その内側は若干高くなっており、今でもその地形は残っている。100年後、風俗街の痕跡はそれくらいしか残っていないかもしれない。
j-town.net
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