心が軋む音哉、私の音か、はたまた目の前でしくしくと感情を押し殺して泣く我が子の胸の音か。我慢なんてこの世に必要なるものか、ましてやこんな幼子に。小野寺、間違いを犯してしまう毎日です。




感情を露わにしてしまえばストレスとやらはかからない。軽い心で吐き出せる暴言の数々を受け止めるのは誰。耳がなければいいのに。そう思わざるを得ない状況で毎日を削って生きております。




容量不足で御免なさいね。器の小ささに頭も胸もお腹も痛む。ややこが2人、どんどこ内側から命を鳴らしながら懸命に息をしている中、私1人が全てを投げ出し楽をしているのかもしれない。




後悔することになっても遅いと、頭でわかってはいるものの、その頭が思考を放棄してしまう。育児とは、子育てとは。母になって未だ3年。しかし目の前で抱える命は四つ。限界に近いものがありました。はて、思考とは如何なものか?




両手を広げて如何に大切なものかを伝え、ただすぎていく日常の中でどれだけ多く笑顔で過ごせるか。それだけ考えていれば良いね、世界情勢なんて切り捨ててしまえ。他人のどうでも良い日常より、愛する我が子の今しかない時間の方が、天秤にかけずとも大切なのは明白。端末を捨てろ、その他は我が子を撫でるためにある。母の使命とはまずそこからでした、反省。



ゆっくりね、焦ってしまっても時間は平等。過ごし方で幸せは決まるということで。本日もお疲れ様でした。