まんなか

膵臓の検査を終え、結果を聞いた。
問題はなかった。


今回は、主治医の異動に伴い、初めての病院にかかった。

異動して、引き継いでもらったものの、特にその後継医師にも問題はなかったものの、前の先生がいる病院を紹介できますけど?と言われたので念のため来てみた次第。


検査費用は高いけれど、
癌化を視野に入れてくれてるため、
マシンの精度は高く、検査の方法や管理にスタッフの意識がかなり高い(息止めが下手だと注意が入る)。
ちらりとみた電子カルテの読影記録も丁寧に感じた。



モニターには、画像。
鮮明に、膵臓の形がハッキリ、模型でみるそのままが映し出されてていた。
腫瘍の陰もくっきり。これまでにないほど眩しい真っ白さ。

そして、

「先生それって、まん真ん中じゃありませんか?表面じゃなくて。」

ーーそうだよ、君のは本当にど真ん中にある。



やっと意味がわかった。
そして、ぞっとした。

これが癌だったら・・・。
そしていつかは、もしかすると、癌になるかもしれない・・・。

先生が心配するのは理解できる。
最初なんか特に、今から5年前だから、若いのに!と心配…というか焦りに近いそれをしてくれた。
なんともない、が何年も続いてから、初診の時は最悪のケースを想定してたんだよと打ち明けてくれた。



僕はずっと表面にできているのかと思った。
が、
今回初めて、この鮮明な画像のおかげで、自分の状態をきちんと正しく把握できた。

体部の、本当に真ん中。一番深いところ。

検査も容易にできないし、手術も悩む場所(先生は一貫して「触らない」と言っている)。


元の病院で診てもらえって、たまに先生で、と思ったら

他の医師だと、ただの脂肪の塊だって軽視するから、僕が診ます

と変わらず熱く言ってくださって。
それが僕にとっては1番の薬なので、お願いすることにした。高いけど(笑)

他で節約しよう、

タイトルなし

多分僕は運転できないんだろうな。
運動も独特に下手くそだし
教習も、実技でついていけず一度中退している。

できてなくはなかったけれど、

車という閉鎖空間で教官に叱られるのが、どうにも、父に叱られることや運転中に荒れる父を思い出すトラウマだったのと

たまに逆走してしまったり、
確認が足りなかったり
逆に不安で多くなってしまったり。

無理してというか
何も考えずにMT車を選んだが
ATに比べてのやることの多さや
クラッチという足先の微妙な感覚や動作は
僕にはまったくもって不向きで、やってはいけない選択だった。


自覚もなければ
親も、精神病=気合い論寄りなので、幸か不幸か、僕の独特さに何かおかしいと気付いてはいても、認めてないのか、単に放置なのか状態だったので、

本当に逃げるように辞めるしかなかった。

あまり記憶がないし
かといって親に咎められた気もなく
それが余計に申し訳なさをかきたて、20年経つ今でも罪悪感がこびりついている。

でも、無理なんだろうなぁ〜

鬱々鬱々鬱々

荷下ろし鬱なのか
季節的なものなのか
鬱々しはじめている

朝から筋トレしてエンジンかけてるけど、9月ほどかからない。昼間も死にたがり。かつ食べたがり。イヤホンか耳栓が手放せない。ぼーっとしてることが多い。

モノ欲の有無

某アーティストが子どもの頃から好きな僕。

一時期離れていたり、好きなことをなんとなく隠してたりしていたけれど、

榊もその人のこと結構好きだったり、僕が好きなのを知ってて話振ってくれたり出演連絡くれたりして。
少しずつ取り戻した、好きでいていい感覚。
(楽曲は絶えずずっと聴いてきてるけど)


最近はメディア露出が少ないというか、波があったり、偏り(音楽番組以外に出ることが増えてきたり)があったりする中で

遭遇したら、大切にする意味で
それを堪能し、自分の中の好きを(自分の中で)解放してきた。

ら、

だんだんと熱がぶり返してきて。
(アーティストへの好きと
そのアーティストを好きな自分への好き(自己肯定感?))



フリマアプリを立ち上げた時
なにげなくその人の名前で検索かけたら

まぁグッズが出てくること出てくること。

ファンクラブのもの
ツアーのもの
音源の付録 etc

最近のものはもちろん
僕が子どもすぎて(なにせその時小学生←だいぶマセた趣味だった)手も出せなければ、思うことすら切なすぎて伏せてきた、あるいは用途や意味もわかなかった当時のツールやアイテムがゴロゴロ出てくる。

ブックマークさせてもらうが、
つまりは欲しい気持ちもあるのだが
眺めてるだけでも幸せで。

検索ワードをとっかえひっかえ、アプリに提案されるままにあっちこっち飛んでみたりして、一日中眺めてることもあって。榊に笑われて(笑)


そんな榊も、親衛隊をやってた(?入ってた?)くらい、ゾッコンのアイドルがいた。

そういえば・・・

榊の時代のアイドルって、グッズってどんなのになるの?
(榊だって集めたりしたんじゃないの?)


「んー、」とだいぶ唸ってから

「ポスター、カレンダー、うちわとかマグカップとかか?」
と、捻り出したあとに一言。

俺、全然「モノ」に興味ないから。



え!!!!!!!!



たしかに。どおりで。
ものが少ない。し、お宝を持ってない。し、探したり関心してるところに出会ったことがない。
(手放したと聞いたこともある。「実家」がないので、異動や生活変化に合わせて捨離しなければならない事情もあるしね、榊の場合)


なんかさ、途端に恥ずかしくなったよね。

モノに走る自分がさ。
単純だけど(笑)



デザインも好きなのもあるけど
人が好きなんだから、なにもそんなにモノに執着・関心しなくてもなぁ〜、と、冷静になった。


フリマに出てるのものたちも、言ってしまえば、卒業する人のガラクタ。それを僕はお金を払って引き取ろうとしてるわけだし、ここはかなり冷静にならんとな。


さて、いつまでこの冷静さを保てるか。眺めるだけで満足出来るか。

多重タスク

生きていく上で様々なタスクがある。

大きなものから小さなものまで。

僕は逃げ回ってきてしまって、それで今追い詰められてるところもあるけど
ほんの小さなことでも億劫になってて。


自分のことならできるし
仮にやらなくてもなんとかなるというか、できるんだけど

そこに他者が関わってくると、やらなきゃいけないことはやらなきゃいけないし、それはきちんとしなきゃいけないし、きちんとするためには打ち合わせやすり合わせが必要だったりして。

そこが面倒すぎて
だったらいいや、となりがちで。
引きこもる。


榊を通じて外界に触れ…たような気になって
その実どんどんコミュニティスキルとかメンタルの地盤とか、そもそもの興味関心、アンテナが弱ってきている。気がする。

ダメだよな
ダメなんだよな
でもどうしたらいいのか分からない

これは自分で行動起こして解消していかないといけないのでしょうか。
自然に晴れるものなのでしょうか。


気持ちは晴れても
やることはやらない限り終わらない、か。当然のごとく。


生きるって積み重ね。
細胞も絶えず生まれ変わりながら生命を保ってる。

タスクを片付けることで、生き進んでいくのかな。
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