履歴書かえってきた。
●わたしの高学歴と
●具体的な事務経験スキル(の可能性)
が見えなかったこと、
●あと「タダの事務なのに」商品についてどう「考える」か
を言ってしまったことは少なくとも原因だ。
仏壇仏具だけにやっぱただのブツだったか。
へこんだりはしない。
っていうか待ってる間の方が苦痛。
ラクになったよ…
でも先日わたしは首つりをして
首に真っ赤なあざを作ってしまった。
生きたいのか死にたいのかはっきりすればいいのにな。
っていうか事務ってほんとにわたしのしたい仕事なんだろうか。
まあ、休みが少ない仕事はしたくない。
生きてたらロードバイク買ってチャリ乗り回したいから。
ジョブカフェの人について適性とかきいてみるか?
適性と休み…と少なすぎはしないぐらいの、給料。
入院はしたくないからな。
入院費用があればロードバイクを買い、そのチャリで
どっかに行って回復してくるように努力する…
あと、次の履歴書書く方に身体が動かない。
ここのブログには
即物的なことばっか書こうと思ってたけど、
さっき明らかに限界(無自覚の心労的な)から来る発作
が出たので、深夜だったけど近所の
公園の芝生―少し丘になっていて、視界が開けている―
に出歩いてきた。
寝転がって空を見ていると
普段の生活で強制されている
主体と客体の厳格な区別は溶解する。
ひとつのエロティシズムだ。
バタイユ的な、多分
いや、もっと探せばあるかもしれない…
ドイツ神秘主義の先生にきいてみようかな。
でも神的なものがキリスト教の神に恐らく限定されることが
めんどうか。
異端者を探すしかないのかな。
でも先生なら安心さ…
とにかくあのとき、芝生の幸福感といったらないんだ。
人間相手じゃ駄目かなって思う。
主体の溶解に限度が無い。
最後主体を取り戻すということが、下手すると無い。
そこで、取り込まれてもいいかなー、
と思う。
別に人間にはもう、執着が無い。
人間という存在との思い出は
もう充分なものを持っているからね…
いい求人で期待してたんだけどな。
実質出勤時間を確認しなおしたのがだめだったのかな。
何回も求人かけてるとこらしいからまあ仕方ないか。
仕方ないもんは仕方ない。
…この世は何だろうね。
…でも切り替えないとね。
そしてこの世界の概念、「改善」