さて。
では私の気持ちがちょっと落ち着いたので書かせていただきます。
話題:地震
地震が起きたとき、私はボランティアで
べんさんの職場にいました。
べんさんのお仕事は、特別支援学校(旧:養護学校)に通う肢体不自由児が生活する寄宿舎の指導員です。
私は、ボランティアサークルで特別支援学校の子どもたちの休日支援と放課後支援をやっています。
他のボランティアもやってるけど、特別支援学校関係はとりあえずこの2つ。
で、あの日は寄宿舎の卒業式で、ちょっとお手伝いしてた。
べんさんがトップに立って企画した卒業式。
学校の卒業式じゃないから、小学校の六送会みたいな感じで、出し物とかするの。
今年のテーマは
「ルパン三世〜卒業生のお宝を盗め〜」
私も前日のセリフ合わせとか立ち会ったりして…なんかちょっとドキドキしながら始まるのを待ってた。
司会の子ども
「お待たせしました!これから、寄宿舎の卒業式を始めたいと思います。」
響く拍手の音…
その瞬間、私の後ろにあったシャッターがガタガタなり始めた。
最初は、隣にいた先輩がシャッターに寄りかかったのかと思って、「何やらかしてるんですか」オーラむんむんのどや顔で先輩見たんだよね。
でもそしたらあちこちから「地震?」って声がして…
やっと状況を把握(笑)
私ね、今まで言ってませんでしたが中学と高校は新潟でした。
つまり、中越地震と中越沖地震、どっちも体験してるんです。
中3のときと高3のときに。
それでもって大学3年でこれなんだから…私にとって「3」って良くない数字なのかも。
…という脱線はおいといて。
揺れてる時間が異様に長かったし、本当に怖かった。
「この揺れがP波で、これからS波がくるんじゃないか?」なんて考えたりしてた。
でも、私が一番心配だったのは、やっぱり目の前にいる140人の子どもたちのことだった。
もちろん大きな地震がきたら、に
べんさんを失うかもしれないし、私だって生きてられないかもしれない。
だけど、私も
べんさんも自分の身はある程度自分で守れる。
今回の地震をそのときの私がナメてた故の発想かもしれない。
でもやっぱり、そこにいた中で一番危険なのは、肢体不自由児であり知的に障害ももっている子どもたち。
あの子たちは、何が起きているのか把握できなかったり、できても自力で逃げることができない。
自分で判断して自分で車イスを操作する子も少しいるけど、すばやい行動はムリだし、何より車イスが壊れたら逃げることができない。
きっとあの場にいた職員やスタッフ、保護者の方々全員が思ったと思う。
もしこの状況で、大きな地震がきたら、どうやったら子どもたちをみんな助けられるのか?
結局大きな揺れがくることはなかったけど、そこに伝えられた恐ろしい東日本の状況。
パニックを起こす子ども。
状況がわからず卒業式を楽しみにする子ども。
すべてが苦しかった。
縮小して執り行われた卒業式。
終わったら、私は放課後支援の方にまわったんだけど、そこにはテレビがあって…
自分が予想してた以上に酷い光景が映し出されてた。
いつもは子どものためにおかあさんといっしょが常に映っている楽しいテレビに、たくさんの人の恐怖と悲しみが映っていた。
いつもは好きな番組の取り合いをして号泣したり、お気に入りの歌が流れて歌ったりする子どもたちも、なぜがそのときだけは静かだった。
そして原発。
私はそういう知識はもってないし、対策とかはプロの方々におまかせするけど…
地震と津波は天災だけど原発ばかりは人災だよね。
本当に。
便利や快適を得るために安全を失っているんだな、と思った。
私は考えました。
芸能人みたいに何億ものお金を持っているわけでもない
アーティストのように歌えるわけでもない
そんな私が、一体何ができるんだろう?
もちろん募金はしてます。
衣類とかも寄付しました。
でも、それってなんだかもどかしい。
だから、やっぱりボランティアサークルのメンバーとして、幹部として…動きたいと思った。
でも現地に行くのは専門の方々に任せます。
知識も経験もない大学生が行ったところで邪魔になるのは新潟で体験した二度の地震で学んだから。
なので、避難してきた方々の健康を支えるお手伝いをすることにしました。
私は看護学生です。
災害時に避難所に派遣される保健師の資格も取れる大学なので、保健師の勉強・実習もある程度はしています。
私は小学生対象ボランティアの代表です。
周囲の環境が子どもにどんな影響を与えるのかということや、教育に関する法律などの知識は多少あります。
子どもの扱い方も、その辺の大学生には負けません。
私は3年間、家庭教師のアルバイトをしています。
子どもに勉強を教えるという経験を積んでいます。
だから…うん。
避難所に通う生活を今は送っています。
上に書いたような、私の持ち味を生かせるように、日々奮闘してます。
保健師さんと一緒に健康チェックのために1日2回、避難している方々全員とお話したり、血圧測ったり。
子どもたちと一緒に遊んだり、相談聞いたり。
1日2時間×2回、子どもたちのために勉強会を開いて、勉強教えたり。
もちろん、ボランティアサークルの一員として、しっかり保険にも入った上で教授を通してボランティアしてるし、活動してるのは私だけではありません。
みんなで頑張ってます。
まだ、他にもできることがあるんじゃないかと模索してます。
例えば…
地震から数週間経った今、バラエティー番組も復活してるし、ぽぽぽぽーんが流れる頻度も減りました。
被害のない地域は、地震のことを忘れて生活できる環境になりつつあります。
だから、今まで嫌でも毎日見ていた地震に関する情報を、今度は自分から掴まえにいかなきゃいけない。
…とかね。
これからも、苦しいことはたくさん残っていると思う。
でも、私は、復興までのすべての過程で、自分ができることをやりたいと思う。