つきの上にひかる星が、いま落ちてしまっても
きょうなら下弦の月が掬ってくれるからへいきね、
なんて思っても、私は空が1枚で成り立っている訳では無い事を知ってしまっているし、星が落ちるのもなんだか矛盾を思うし(そもそも宇宙に上下があるかしら)
そんな風に大人になってゆくわけだけれど、そんな風に想像するくせをやめられる程、満足な毎日を送っていない
だからこそ私はしあわせよ、
余裕のある不満が、わたしたちの想像を満たすのだとおもう
不思議の国のアリス並の非日常を体験したくて、それを現実に為すなら海外にでも行くしかないわね。
でも一緒にいけそうな人が見当たらないから
取り敢えず英会話教室に通いたいけど
いつも1歩目が苦手で。
それを自覚しながら動かない私は
ちょっと、だいぶ、ばかだな。
動いたら楽しいかもしれないのに、
いや絶対たのしいの。
結局日常をあいしてしまっている
時をあいする前に私はひとをあいするべきだわ!
世の中に性別がなければ、
もっとすきが増やせる気がしてしまう
ねむりたいけどねむりたくないんです。
日常に怯える年頃でしょう。
会いたい人に会いたいと言って、
会いたいときに会いたいです。
色々な人が好きなせいで、1番に出来ないせいで、本当に大事なものやひとが分かりませんが、その分あまり人を憎まずに済んでいます。
一直線にひとを好きになれる人は正直みっともなくも映りますが、少しの憧れがその視点の偏りを助長しているのだと言われれば否定もできません。
ねる。
なにかあるとまあどうせいきてればしぬしどうでもいっかってなっちゃうけどこの考え方果てがないな。
殆どバカにされてないか。
継続しても信用できない社会的安定しか得られない。意味は?