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綱渡り


一瞬、時間が止まる。僕は積み上げてきたものを全て空中分解させ、肉体がただそこにあるだけになる。キャパオーバーした瞬間に、全てが空白へと還元される、と言ってもいい。例えば電車が眼前で停止し、扉が開くその瞬間、僕はいつも何を考えているだろう。思い出せないし、きっと何も考えてなどいないのだ。そして蓄積された何かを瞬間的に無に葬っている。それが現実を生きることでありながら、現実から解離している瞬間でもある。

今日はもう早く寝た方がいい。そんなことは分かってる。でも、誰かに聞いてほしくなる何かがある。それを言った途端に自分が嫌いになるかもしんない。でも言いたくもなる。バカだ。


僕の隣で眠っている女の子はよく働く。僕には考えられないくらい朝早く出掛けていく。だから、僕のなかに溜まりだした疲れやフラストレーションなんて、たかがしれてるってこと。自分のことがんばってるなんてあんま思えない。でもがんばってるんだ、僕なりに。本当は今の職場に言いたいこともある。言っていたことと違うじゃねえかって。僕は子供のためには働くけど、ブラック企業のためには働かねえんだよって。人の行動規制しておいて結果が伴わなければ責任転嫁、さらに無給労働の嵐。教え子のためにやめないけど、労働力と慈善心の搾取もたいがいにしろと。大手企業の体を為してない。これがベネッセグループの内実かと思うと悲しくなる。ベネッセってこんなブラックだったのかって。そもそも週1からokって書いてあって、週2、3日つってたのが7連勤させられてたり、思い返せば意味不明の騒ぎじゃねえぞ。だけど僕は使えないとか思われるの大嫌いだし、今の若者にありがちなすぐ辞めちゃうっての大嫌いなんでね。しばらくはやるよ。だけど、こんな正直者がバカを見るシステマイズしてる社長、お前は最低だ。残念ながらプライドが邪魔をしてお前の下でしばらく働くが、てめえの金のためじゃねえぞ。僕を慕ってくれる教え子のためだこの野郎。
かなりそれたけど、疲れたね。
言いたいことは今みたいに山ほどあるんだ。
ぶわっていってみていいかい。僕がぽってりいきそうになったら。ああ、もうって。


勉強がしたいんだ、とにかく。勉強がしたい。そのための大学だったはずなんだ。大学の時間は勉強にささげまくりたいんだ。ゆとりある高度な学問をさ。

抽象的生活


最近、自分の変わりように大きく驚くことがある。長野から上京して、浪人から大学生へと、環境の変化が多大であったのだから、自分の変化も多大だといえば当然だけど、それでも1年前の自分が想像していた世界と、今自分が立っている世界とは明らかに異質だ。そもそも、一年前に僕は大学生をどう定義していたのだろう。していなかったのかもしれない。ただただ眼前の英語、国語、日本史に全意識を吸い上げられ、模試の結果に泣きわめいたり悔しがっていただけだった。受験期、安いホテルの一室で泣きながら参考書をめくったのは一生の思い出だな。蓋を開ければ合格だらけだった。苦しくも充実した一年だった。しかし、同時にそうした努力が僕をここまで連れてくるということについては考えてもみなかった。新しい扉が開かれるなり、別次元での勝負が始まっていた。

僕は時折、「言葉」を纏っているかのような錯覚をする。気づけば、その言葉の量は一気に増えている。浪人していた頃よりもだ。
円高デフレ、消費税、社会保障、台形の面積の求め方、社会的地位、財務諸表、社債の買入償還、カリキュラム作成、簿記1級、冬期講習面談APO、安倍晋三、インフレ、金利、朝日新聞、橋本徹、ニューディール政策、高橋是清、ゲーム理論、民主主義、財政出動、反比例のグラフ、就職活動、国益、君が代、東京裁判、通貨スワップ協定、中川昭一、IMF、実務経験、家賃、奨学金、そして愛する人のこと。

この半年で、一気にあらゆるイデオロギーが構築され始めていることに気付かされる。政治に詳しくなり、経済に詳しくなり、自らの生活を懸念し、塾講師を務め、国益とは何かを考え、時にアンチテーゼを示し、簿記資格合格に邁進し、愛する人との将来を考える。僕が変わらないのは、やり過ごす、ということが大嫌いな点だ。いかなるものも多角的な解釈とアプローチで、自分の糧にしようと思う以上、膨大な知識と鍛練が必要不可欠となる。逆に、武器が増えた、と例えても良い。

そうした僕に纏う「言葉」たちは、総体的にいえば僕自身であり、一つのアイデンティティを形成し、僕を保護する。おかしな話だ。僕が僕を守っている。積み上げてきた知識と理論と経験によって、本格的に僕が成熟しはじめていると感じることがある。ただ、一年前についていえば、僕は経済にも簿記にも興味がなかったはずだ。つまるところ、予想だにしなかった物質によって僕が確かな輪郭を帯はじめたということ。

苦労することは忘れちゃいけないね。
僕にとって、自己投資は最高にスリリングでエキサイティングだ。
いつか日本国のために、何かの右腕になれたらとおもう。それが同時に愛する人を守ることに繋がっていたらいいとおもう。


最後に最近思うことをもうひとつ書いておきたい。みんなちがって、みんないい。そう書いたのは金子みすずだが、この言葉にずっと違和感を抱いてきた。それも小学生の頃から。その謎が最近解けた。単純明快だ。自由には責任が伴わなくてはならんからだ。人のために尽くす人間がいる一方で、大量殺戮の犯罪者がいる。みんな違って、みんないいだろうか?
思想良心の自由は憲法上認められているが、勧善懲悪という言葉があるように、決定的に悪を招く思想が日本には存在し、日本という国はかなり黒い部分がある。ヤクザとかは必要悪だが、それとは違う、もっと日本をぶっ壊しかねない人間がそこらじゅうにいる。誰とは言わないが、そういうことが確実に存在すると最近理解できた。正義の反対は違う正義といったのはドラえもんか。民主主義や左翼のお花畑が広がりすぎて忘れがちだ。みんな違って、みんないいわけがない。正義の反対は、悪だ。
法律の縫い目をくぐり抜け、既得権益を利用して、日本をぶち壊そうとする奴らもいるんだよ。全部自分の利益のためだけにね。

合法な手段をもってして、潰さないといけない。その時、僕の理論が何らかの役にたてばいい。

そんなことを考えるようにもなった。

もう誰も呼んでいない


混乱の中にいる。

それ以上言えない。

僕には分からない。

ちっとも分からない。



無題


僕は音楽が好きだし、
バンドが好きだし、
ベースがとりわけ好きだけど、

やっぱりメジャーデビューしたいか
売れたいかっていわれると
ここのところ、どうも違う気がする。

そういうこと考えると
だんだん音楽が嫌いになってくる

音楽のために何かを犠牲にしなきゃいけない
そんな生き方はしたくないんだよ
音楽だからなおさらね

昔まで熱かったはずの何かに
大人になるほど違和感が増えてった


別になんかもう売れたいとかおもってない
みんなで音楽やって笑って過ごしたいのが本音かも。
自分が周りのメンバーとズレ始めちゃったな。
こりゃ迷惑かけるかもなあ。

はあ



僕の心の水面下で感じていた部分

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