28日から本日までの4日間、県内のイオンで沖縄フェアが開催されておりました。チラシを見て行きたいなあと思っていながら結局は面倒で行かずに終わってしまったという。だけどまあいい。沖縄のものは沖縄に行ったときに食べるのが一番です。
これまでも紅いもタルトが食べたくて仕方がない時が幾度とありましたが、何のこだわりを持ってか知らないが、ネット注文で取り寄せることもしなかったんですよ。食べたいなら素直に食べれば良いものを。
我ながら変なところに頑固でアホだなあと思いましたし、自分が食べないにしても、ならば家族に食べさせようとか、そういう心遣いにも欠けていたのですから、それも合わせて、これまでの自分を不快に思っております。なんたって元気で生きているうちは気が付かないものですから。
最近、職場の先輩が中国に行ったそうなんです。主には大連で、中国の大部分で反日デモが盛んに行われていた時期でもここではそれが起こらなかったという、数少ない親日の都市であるそうです。
大連は旧満州の港口ということもあり関連の書物でその名をよく目にしておりましたけれど詳しくは知りません。盛んに前世を追求していた頃、沖縄の前に満州に滞在していた時期があったとしたならば間違いなくこの大連から入ったはずだと、そう薄ら考えていた程度でした。
それにしても先輩の話は何だかとても新鮮で、羨ましく感ぜられました。自分は行けないから、せめて他人様の土産話でも聞いて楽しもうではありませんか。
なんて、まるで心にも無いことを言ってみる私。まあ、ともあれ今は自分がやるべき事を頑張ってやるのみですね。前向きは疲れますので、後ろ向きで。
27歳という年は、やはり私にとって何かしら大きな意味を持った年でありました。きっとそうなると思い続けていたから現実にそうなってしまったのか、それとも生まれながらの運命であったのかは分かりませんけれど、27歳を迎えるまでに何かしら心積もりをしていたことは確かでしたので、我ながら納得はしているところです。
私の27歳は、一言で「決別」の年でありました。去年の夏に思い切って実家を出たのは、まずそれまでの自分との別れでありました。自立をしたことにより何となく気持ちに区切りがついて水子の供養ができました。水子を供養したことで恨みを思い出し、長いあいだ所属をしていた宗教団体を離れました。
宗教団体を離れ、いよいよ純粋に供養の一念で生きていかねばと気持ちを新たにしたところで、祖母との別れがありました。今は自分で言ったとおりに、ただ供養の一念で生きています。不思議と、すべてが連鎖に連鎖した別れでありました。これが私の27歳。
先日、20日はK氏の命日でもありました。今は四十九日の最中ということもあり祖母以外の墓参りは控えているのですが、あれから早くも2年が経ってしまったのですね。生きている限り、これからも大切な人の死を見ていかなければならないのかと思うと気が遠くなります。
今は1週間くらい、お寺にこもりたい気持ちなんです。まだ空も明けきれていない静かな早朝に、遠くからカッコウの鳴き声が聞こえてきて、それを聞いていたら余計にお寺にこもりたくなりました。
きっと初めてこの日記を読む人にとっては、27歳がどうとか、水子供養がどうとか、祖母がどうとか、K氏がどうとか、全く知らないことです。いえ、知らなくてもいい。
ブログを始めて、早くも8年ほどが経ってしまいました。27歳を終えまして、どことなく自身に一つ区切りをつけようと思い、過去の記事はいったん封印し、また新たにスタートを切ることにいたしました。長いこと読んでくださっている読者様には、きっと理解していただけることと思います。
改めまして、今後ともよろしくお願いいたします。