すみません。
2日続けて更新をお休みしてしまいました。
今まで1日抜けくらいはたまにあったのですが2日抜けはそんなに無かった筈。
寝落ちの後、パソコンの調子が悪くて、書き上げたものが送信前に消えてしまったことでがっくりきてしまって。
今後はなるべく休まないように続けていきたいと思います。

さて、昨日、書きたかった記事なのですが読む気もなくて、脳内消去してしまった「美味しんぼ」「福島の真実?」問題です。
2日分、長めなのでご容赦。

なんでもこの2月に原作者雁屋氏の言い訳本が出版されていたのだそうです。
福島の本屋では私の目に留まらなかったのですが、たまたま立ち寄った東京で見かけました。
買う気もなく立ち読みしたのですが(本屋さん、すみません)ぱらぱらとめくるだけでも買う価値も読む価値も無いと思いました。
いろいろ書いてありますが、結局のところこの人の言いたい結論は第7章の「福島の人たちよ、逃げる勇気を」につきるのでしょう。
「福島は人が住めないところだから避難しろ」と。

本の内容には「福島を歩く」などもありますが、正直どこの福島? どこの人のことを書いてるの?
と言いたくなります。
福島の農業、漁業が厳しいのは事実ですがなんか、偏った見方をしてますし
「どうしてそれでも福島で皆が生活しているのか」
「農業、漁業に向き合って頑張っているのか」
その点が解ってない。
しかも、データとして出しているものも、正直、信じる根拠が足りないと私は感じました。
そもそも、鼻血なんてのはどこにいたって出る時はあります。
ちょっと頭をぶつけたり、豆やチョコレート食べ過ぎたり、興奮したりした時とか。
私は少なくとも仕事上で、鼻血が出やすくなったという人を見たことはないし、聞いたこともありません。
子供相手の職場ですから月に1〜2回くらい
「ぶつけた」「のぼせた」
で鼻血を出す子が誰かしらはいますが、そんなのは震災前からの話です。
それを放射能と無理やり絡めて鼻血の根拠にしているのは怒り通り越して笑える感じです。

そんな中、信夫山ネコさんのHPで紹介されていた本があり、読んでみました。
「放射線被曝の理科・社会」
かもがわ出版
という本です。
その中に 
『低線量被曝に関する問題に対処するには、基本的に「それぞれの見方と行動を認め合う」しかない』
とういう言葉があって、それに私はすごく納得しました。
 中身はけっこう専門的で、片手間に読める様なものではありませんが、それだけに勉強になって、私としてはとても納得できました。すくなくとも言い訳本の100倍は。
この本に書かれてあった事のいくつかは、私も書いてきて同意と思ったことなので後でブログにも書いていきますが、特に
「福島県民は福島県外の人よりも放射線について学習し、科学的な判断に基づいて福島に住み続けるという選択をしている人が多い」
と言って下さってることに感謝しました。


 あたかも福島県の人間の全てが放射能汚染を気にしない愚か者か、放射能被害をまき散らす確信犯加害者か、あるいは国や自治体に騙されて危険であることに気付かず暮らしている愚か者ように思う人がいるのは心外な事です。
 だから「放射能に汚染されている筈の福島のものはどんなものでも嫌」という方がいるならどうぞご自由に、と思います。
 私達は冷静に判断して、福島と故郷で生きることを選択したのですから。
 医療による被曝とは比較にならないほど少ない、日常の環境放射能からの被曝やほとんどが基準値以下の食べ物からの被曝リスクは
「住み慣れた故郷で、家族や友人と、安定した生活環境下で生きる」
為のものと納得できます。
 本来、東日本大震災と原発事故が無ければそんなリスクなど考えずに済んだのですが、過去は何が起ころうと巻き戻せません。取り消せません。
 でも、不幸な過去がたとえあったとしても、そこから生まれた未来が将来に意味あるものになれば、不幸はただの不幸ではなく未来への道筋になる筈です。
 私は、少なくともそう信じています。

 私の言葉よりこの本は説得力のある言葉で、福島の思いを伝えてくれているので、今後時々引用させていただくこともあるかもしれません。
 少なくとも「美味しんぼ 福島の真実」に言い訳本も含めて福島の真実はないこと。
 そして福島の人間はそんなものに「負けない」ということだけは言っておきたいと思います。
 福島県民200万人のうちのほんの一欠片の思いですが。

 改めて本屋さんにはごめんなさいですが、言い訳本は買いません。買ったら負け。
 買うと雁屋氏の自主出版社(遊幻舎ってそうなんですよ〜)を潤わせてしまいますからね。
 そういう意味でも私は「負けない」のですよ。