今日で東日本大震災から9年目を迎えます。

2011年 3月11日 14時46分発生

現時点で死者は 15,899人
行方不明者 2,529人
震災関連死 3,739人
そして今なお47,737人の方が避難を続けている未曽有の大災害です。

この大震災の大きな特徴は死者の大半が津波による犠牲者であったこと。
そして津波によって福島第一、第二原発が被害を受けそれによる放射能の飛散が起きた放射能災害であることです。

私達は、多分、数日前の事を忘れることがあったとしても、あの日の事を忘れる事はありません。
子どもたちに毛布を掛けて必死で守り、保護者と連絡をとったあの1時間。
全員を無事に保護者に届けた安堵。
今も鮮明に覚えています。
けれど、後日そのほぼ同じ時間。
津波に飲まれながら、子どもを必死で抱き留めた先生がいた事。
家に帰した保護者と一緒に津波に飲まれ、無くなった児童の事。
そんな話を聞く機会がある度、やるせない思いが胸を過ります。

翌日、震災の片づけの為に仕事に行ったその場で、避難所の設置を知らされ、大熊町から避難された方のお手伝いに行きました。
冷たい体育館、狭い保健センター、公民館などで辛い思いをしていた皆さんの表情を忘れる事は出来ません。
避難された方の為に、地元の人たちから寄付された布団や毛布が山積みになりました。
衣服の寄付もたくさんありましたが、余るものが多かった事も忘れられません。

テレビを付ければ聞かれる ぽぽぽぽーん。
ドラえもんがテレビに戻ってくるまでの1週間。
ロビーから消える事の無かったテレビから伝わる映像は、辛いものばかりでした。

原発事故による放射性物質の飛散の為、テレビ局はどんどんと遠くから「実況」を続け、ここにいていいのか。
生きていけるのか、悩みながらあの場にいた時に友人から来たメール。
「また、明日」
の文字にどれほど励まされたかは分からない程です。

そして避難してきた大熊の方が
「俺達は原発で潤ってきたところがあるから、まあ仕方ないけどあんたたちはいい迷惑だよなあ」
と溢されたことも、今も忘れられない事の一つです。

時が流れ、あの時の記憶を持たず育った子も今は多くいます。
辛い映像、画像を見せ思い出させるのは、という声もあります。

でも、この福島で、自分達の生きる場所でかつてそういことがあったということ。
そしてそれは明日起きるかもしれないのだということは、語り続け教えて行きたいと思います。

今なお、原発災害は続き、津波被害の爪痕もあちらこちらに残っています。

しかし、被災者と呼ばれる多くの人達は今もなお、故郷の為に、復興の為に努力し続けています。
一度は人の住めない場所と言われた故郷で、それでも前向きに生きている。
生きて行く。

亡くなった方、そうできない人の為にも。

そう決めた人たちがいる事を、どうか忘れないで下さい。

 

復興は、その地に生きる人たちが
「人生の結果に災害を理由にせず生きられるようなることが復興の終わり」
本で見た言葉ですが、それを目指してまた、新たな一年を頑張っていきたいと思います。