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フクシマの最前線の人達

ここのブログを「原発最前線の町」というタイトルにしたのは、震災当時、ここがおそらく原発に一番近い避難所であったからです。
西に原発から34.5km。
南相馬といわきにほぼ同じくらいの直線距離の避難所があったかもしれませんが、それ以外の場所は避難区域、緊急時避難区域に当たっていたので。

でも、本当の意味での最前線はやはり福島原発とそこで働く方たちであったことに疑いはありません。
あそこで働いて下さる方々がいなければ、福島は本当に死んでいたのですから。
最初の頃はイライラして「少し危険を冒しても早く直して欲しい」と思ったりしたのですが、今は心から感謝し、全てを任せようという気持ちになっています。

その中で八か月間、陣頭指揮を執り続けていた福島原発の所長、吉田氏が病気の為退任することになったのだそうです。
八か月、殆ど家に戻ることもなく、家族と会うこともなく、放射能の恐怖と戦い続けながら作業を続けて下さった吉田氏。
先日のテレビインタビューの時、
「相当な積算線量になっている」
とおっしゃっていました。
今回、病気、即入院となったことが心配ですが、どうか体を休めて治療に専念して頂きたいと思います。

おそらく吉田氏と一部の方を除いては最前線の皆さんは、入れ替わりも激しかったのだろうと思います。
どうか、皆さんの無事を心から願っています。
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