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それぞれにできる事

避難所にカイロを送りたいといってくださった方のコメントを見て考えました。
私も阪神淡路大震災の時、被災地の子供たちにおもちゃなどを送りたいとおもったなあと。
多分、ブログを見てくださっている方を含め、物質を送りたい。ボランティアで手伝いたいとおもって下さる方は多いと思います。
ただ、今、被災地に立ち避難所の方々のお手伝いをする身になっていうと行動に移すのはちょっと待って下さい。
と、言わざるを得ません。

まず、現在、福島、宮城、岩手には個人宛先の郵便物、宅配便は届きません。
ガソリン不足に加わって避難所に避難する方、家が壊れた方々が多くいるからです。
第2に一般むけ商店の流通は戻りつつありますが地面陥没や土砂崩れなどもありまだ元通りではありません。危険箇所も多い上、福島は原発の件があり一時期よりましになったものの入るのを嫌がる運転手もいるとかいないとか。
せっかくの優しい心から送られた物資が必要な人に届かないのは私達も悲しい気持ちになります。
加え各地の避難所ごとに必要な物資は違ってきます。
食料が足りないところ、毛布が足りないところ、衣類が不足しているところ、人手を必要としているところ、いろいろです。
うちの避難所に限っていえば物資はほぼ一回りして余り気味であったりしますしさらにないと信じていますが、明日避難勧告が出て無人の町になる可能性も0ではないのです。

だから、今はしっかりとしたルートを持つ団体の呼びかけに応じるか、そうでなければ自分のできる事をして下さればいいと思います。
ガソリンや電気を節約する、避難して来た方と出会ったら励ます。震災の事を忘れずネットなどで応援し続ける。

募金という俗物的な事はいいません。ただそんな気持ちだけでも私達は十分にうれしかったりします。
もう少し落ち着いてくれば被災地の受け入れ体制も確立されてくると思います。
だから焦らず自分のできる事をしてください。そして震災の事を忘れず応援し続けてください。

それだけはお願いします。
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震災で得たもの

今日の福島は氷点下外は霜で真っ白です。
原発の件はまだ一進一退でいつ避難勧告が出るかも解らない状態は変わりませんがそんな私達の町に、人が戻り始めています。
原発爆発の噂が起きた14日から15日にかけて確認できただけでも百件単位。
推定で言うなら街の三分の一が避難していたということなのですが、今その多くが戻ってきています。
親戚を頼った人、避難所に行った人。他県で数日を過ごした人。
場所や理由はそれぞれですが、会った人は皆、原発がこれ以上の悪化をしないだろうという期待と共にどうせならば自分達の町と運命を共にしようという覚悟を持って戻って来られたようです。

先の東電のおわびに来た幹部に避難してきた人達が言っていました。
「私達は帰りたいんだ!」
と。
思えば、私は逃げることができなかったから逃げなかったに過ぎません。
もし、私が職員ではなく、避難所の方々と関わる事のない一人暮らしだったりしたら、きっと東京とかに逃げていたかもしれません。
でも‥‥逃げなかったからこそ、運命の日から絶望に震えた一週間を経て、私はいろんなことを学んだような気がします。
今もまだ避難所には多くの避難の方々がおられ、帰る事のできない方々を前にまだそれは簡単に言葉にできるものではありませんが全てに見捨てられたと思った町や、自分達は決して見捨てられたわけでは無く、多くの人に支えられて見守られているのだということは確かに理解できました。
全ての騒動が終息すれば、その時、震災前とは違う目で私は世界を見られる。
そんな気がします。
それは支えてくれた友人達と皆さんのおかげです。
心から感謝しています。
早く全てが終わり、皆さんに心から感謝の言葉を述べてブログを閉じられる日が来ることを今は、震災の被害を受けられた方々の復興と共に祈っています。
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