ある福島県の人が描いたマンガとエッセイが昨年中国新聞に載っていたのだそうです。
私がそれを見たのは偶然ですけど、どちらかというと放射能を気にする方の発信であったこと。
そして、「福島市で放射能を気にしたら非県民と言われた」ということを書いていらっしゃった方であったこと。
そしてこれが中国新聞=広島の原爆を体験した方達にどう受け止められたのだろうと思うと、色々複雑な気分になりました。
もし興味があれば「トホホ福島日記」でぐぐってみて下さい。
個人的にはこの方の気持ちも解らなくもありません。
福島市は確かに放射能が高い区域。
お子さんがいれば会津に避難して害を避けたいという気持ちも理解はできます。
ただ、この日記の中で夫婦喧嘩をしたと書かれていて
「収入があって、友達がいて、親戚がいて、住み慣れた家があって、医療支援もある」福島市にいたいと思う奥さんと
「お金があっても友達がいても、家があっても放射線には勝てない」と避難と不便な生活を選ぶ旦那さん。
私は、どちらが正しいというのではなく、どちらが幸せを感じて生きられるかと思うと、それは奥さんの方ではないかな、と思います。
そしてそれが今、福島に生きている人の思いなのではないかと。
あるお爺さんがいました。
震災前は少しボケが始まったようではあるけど、遠くに嫁いだ孫の元に遊びに行ったり、畑仕事をするのが楽しみの元気なお爺さんでした。
震災前の3月、孫の家に行っている時に大震災が発生。
家は避難区域になり、帰れなくなりました。
そのまま孫の家に避難することになったけれど、家に帰りたい、帰りたいと言い続け、ボケが急速に進行。
そして驚くほど早くに亡くなってしまった。
そんな話は私が耳にするくらい、珍しい話ではありません。
放射線量を気にして、放射線が身近になる。
子供達ですら放射能の単位を知り、気にしながら生きる。
それは3.11前には無かった光景であり、悲しいことなのかもしれません。
でも、今の福島にはそれが日常。
その日常の中でどうたった一度の人生を悔いなく生きるか。
そう考えた時、許される限り、自分の家で、自分の友達や家族と共に、毎日毎日を悔いなく楽しく生きる。
それが許されない人もいるのだから自分が生きている事と、今家にいられることに感謝して精一杯頑張る。
私はそちらを大事にしたいと思います。
明日は友達と東京に行って泊まってきます。
明日と明後日は多分更新をお休みします。
東京で…なんか嫌なことが無ければ、ですが。