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自分の家に泊まる

田村市は震災当時、南相馬市とただ二つの、警戒区域と避難指示区域と普通の区域が混在する市でした。
都路地区は一部が半径20kmに位置し、警戒区域。
ここに住んでいる人は強制的に家から避難することになりました。
半径30kmの避難指示区域になると家に残ることもできたのですが、都路は全域が避難という形をとったので、ごく一部を除いて皆避難したようです。
その反面、半径30kmに一部入る常葉町では避難した人は殆どなく、みんな自宅に住んでいました。
子供がいる家などは仮設住宅に移動したりというのもあったようですが。

避難区域の再編で、旧警戒区域の半径20km以内を除いては避難指示が解除され戻れる方は戻りました。戻った人は年配の農家の方などが中心であったようです。
しかし半径20km内は避難指示解除準備区域で今まで、自宅での宿泊が禁じられていました。
ですが、8月からは3か月間、自宅での宿泊が可能になるのだそうです。
都路の多くの住宅除染が終ったこともあるからでしょうか。
それに先立ち、復興庁や内閣の職員が都路の木造バンガローに一泊二日で泊まり、一日の放射線量を計測、年間の放射線量を試算したのだとか。
それによると、農家や林業などに従事する人は年間1ミリシーベルトを超える可能性がある。
しかし、子供や普通の生活をしている分には1ミリシーベルト以下だということ。
これを安全と見るか、不安と思うかはそれぞれですが…。

それでも、どこも壊れていない自分の家で泊まるという当たり前のことが、当たり前にできない日々が震災から2年半を経てもまだ続いているということが、今回の大震災の一番の特徴であり、悲惨な点であると思います。

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