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故郷に帰る

昨日もちょこっと話題にしましたが、都路の旧警戒区域の解除と、新年度の学校、幼稚園再開は田村市にとって久々の全国ニュース。
知り合いに話を聞いたところによると、たくさんのマスコミが来ていたようです。
学校、幼稚園の再開は来週からですけれど、都路のこども園の保育部は一足早く、昨日から再開。
ここ暫く避難先からの引っ越し準備で大忙しだった先生方は、今度は新年度の準備と対応でまだまだお忙しいようです。
園長先生は勿論なのですが、職員の先生方も取材を受けたりして
「ここから、こういう構図で一枚」
なんて仕込みつきの写真を撮られたとかなんとか。
今年の保育部は0〜3歳児が10名。幼児教育部が4〜5歳児16名、と聞いています。

あ、一応ですが都路こども園というのは幼保一元化に伴って震災前に新設された認定こども園で、簡単に言ってしまうと保育園と幼稚園が一緒になった施設で学童保育部なども併設されている施設です。

都路の小学校は二つ。20km圏に一番近い古道小学校と、常葉に近い方にある岩井沢小学校。
それに都路中学校が4月9日に再開されます。
学童保育を行う岩井沢児童館も学校再開と同時位に再開されるのではないでしょうか?
ちょっとその辺の細かいことは解りませんが。

ただ、解りやすいので子供の帰還や学校の件が大きく報道されますが、現状、都路に戻る人の半数がご老人で残りはその家族であると見ています。3年間、故郷に戻れず一番苦しい思いをしたのはやはり年配の方達でしょう。
震災関連死という言葉は独り歩きしていますが、故郷にいた頃には毎日畑に出て、田んぼをやって近くの人らと話をする。
やることがたくさんあったのに、いきなり故郷から引き離されて小さな仮設住宅に押し込められた。
やることがなくてボケが進んだり、寝たきりになってしまったという話は珍しくもなんともありません。
原発事故が無ければもっと幸せに長生きできた人は間違いなくたくさんいた筈です。
若い人たちは町の方が住みやすいと、(放射能不安は勿論あるにしても)戻らない選択をした人も多いでしょうが、年配の方達にとっては(もし本当に放射能が害になったとしても)自分が長く生きて来た故郷で友達や家族と生活するのが一番幸せなことなのだと思います。
その面では都路の方達は恵まれていると言えるかもしれません。
今なお、故郷に戻ることも望めない方が今もたくさんいますから。

今後、田村に求められる役割は原発事故前の生活を早く取り戻して見せることなのかもしれません。
諦めてはいけない。
失われたモノは必ず取り戻せるのだと、広く伝える為に。



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