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いつまでも…

昨日、紹介した「つなみ」の中の子ども達は9割が今も岩手、宮城、福島に在住しており、その多くが地元で、震災の復興を思う言葉を綴っています。
でも、その中に一人だけ横浜に引っ越し、宮城には戻らない、と書いていた子がいました。
当時、小学1年生で、今は6年生。
横浜に引っ越してからの方が長くなったし、大事でかけがえのない友達が横浜にいる。
と書いたその子。
私は否定するつもりはありません。
むしろ称えます。
彼は彼なりに前を向き、自分の居場所を定めているからです。
でも、そうでない人もまだ大勢いるようです。

日本経済新聞の3月4日付の記事では約1万人近い子供が県外に避難しているという調査結果をあげていました。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG04H1J_U6A300C1000000/

2012年には1万8千人で、福島に戻ったり、住民票を移したりした人もいるので数はかなり減っていますがそれでもまだ1万人の子どもとその家族が県外で「被災者」をしているのだということが私には少しショックでした。
震災から5年の月日が流れようとしています。
家や故郷を原発事故によって奪われた方々の思いは、私などのような軽微な被災者からは想像もできないと解っています。
それでも、5年という年月は決して短い時間ではありません。
何かを為そうとして、その為に動いていれば何かはできる時間ではないかと思うのです。

福島県から県外に避難された方を否定するつもりはありません。
「子どもを放射能から守る為」
それは苦渋の選択であったと思います。
でも一方で
「今でも避難したことが良かったかどうか分からない」
とおっしゃる方の話を聞き、来春に打ち切られる住宅の無償提供に抗議の声をあげられているのを見ると、そんなにいつまでも「避難者「「被災者」でいていいのかという思いも感じてしまうのです。
東電の為に家を失い、帰る場所を、故郷を失った帰還困難区域の方々には十分な賠償もあってしかるべきでしょう。
でも、賠償金があれば新しく家を建てる、アパートを借りる。
そんなことも十分可能な筈です。
(それができない老人の方などは…多分そもそも県外には避難されている方は少ないかと)
故郷に戻らないと決めているのなら、避難先の地でその土地の住民として生きる決意を持った方が新しい生き方ができると思います。
そもそも、今回の東日本大震災において家を、住む場所を失った方々は福島だけにいるわけではありません。
宮城、岩手の方がむしろ故郷を失い、家、家族を、亡くした方々は多いです。
その苦難、苦労を比べる事などできませんが、少なくともその方々に賠償金はありません。
それでも一生懸命に復興の為に努力しておられます。
原発事故による避難賠償問題は、本っっ当に根深く、福島を分断し、ある意味震災の復興を妨げている原因であると思います。

さらに繰り返しますが、私は「自主避難」を否定はしません。
放射能のリスクによる考え方の違いはあって当然です。
でも、いつまでも「被災者」の立場に甘えていてはいけないのではないでしょうか?
福島に住めないと判断して避難をしたのなら、そして故郷に戻らないと決めたのなら、それは移住、引っ越しと同じ。
家賃という一番の生活負担が無かった5年間に働いて、貯金をし、余裕を作り、新しい土地に慣れその土地の住民として新しい故郷に生きる。
そんなことも十分に可能ではないでしょうか?
そもそも「避難したことが良かったかどうか」
では、何を持ってすれば「避難したことが良かった」事になるのでしょうか?
福島県でガン患者が増加し放射能の影響が目に見えて出れば?
そうすれば自分が避難したことは正しかったと思えるのでしょうか?
…私は何かが違うような気がします。

もうじき東日本大震災と原発事故から5年。
被災者であることを忘れる必要はありませんが、被災者であることにいつまでも甘えていてはいけないように私は思います。

私個人の意見です。
念の為。

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