課題図書

夜中の駄文はロクなことがないと先に申し上げておく。いつも以上に自己満足の記録記事。(たぶんここ1〜2カ月、躁転気味なのだと思う)


これまでは目先の未来と願望で動いてきた。

「何になりたいか」

今は、そういった具体的というか限定的な願望はなくなった。ゆえに時々苦しくもある。
ふと頭を擡げるのは、漠然とした、抽象的な、状況だったり環境だったりカタチだったりへの希望。

「どう生きたいか。」

まだ舵を切れるほどの確かさが自分の外にも内にもない。

ただ小さな出合いがいくつもあり、都度、覚悟を決めよ、という信号が遠くで発せられてるのは感じている。



それと関係ある…ように上手くは語れないのだけれど、どうにも記しておきたくて、ここに付記する。

榊の友人から、半ば押し付けられるように漫画を借りた。『3月のライオン』。

漫画自体読むのはいつぶりだろう。中高生くらいまでか。働き出してからは読むのがあまりにつらくてやめた。
ハマってしまうと、読んでいるそばから全ページの様子(コマ割りやカット、セリフ)がまるまる頭に入ってしまう。すると脳みその中がその記憶でいっぱいになり、仕事のキャパが減ってしまう。ゆえに自然遠ざかっていた。今でも避けるし抵抗感もあり、こちらの作品も4割くらいの力で流し読みするようにしている。少し残念なことなのだけど。

話が逸れた。

作家特有の、線や画面の情報量が多いことに最初は抵抗感があった。しかし読み進めていくうちにそんなことを忘れるくらいハマってしまった。

人々のアップダウンの生々しさに翻弄された。
(だから、冒頭で述べたように人生に惑いがある僕なんかは、やってきた展開に安易に同調してはしっぺ返しを食らい、自分の甘さを思い知らされている。そしてますます迷い込む)
ドキュメンタリー的な展開だから「意外な」伏線はない分、関わりあう人物同士の視点や心情の交錯に妙がある。

それと、同じ経験をしている人なら恥ずかしさのあまり胃のあたりが湿るような至りの数々がエピソードとして散りばめられている。あるあるなどというレベルではない。本当に心底恥ずかしいと思うことなのだから、これをさらけ出す作者の覚悟を感じた。作者が自身の心身を削ってのせているように僕は感じた。

その一方で、順序よく過去や関係性を詳らかにしたりしない。これでもかと読者を置いてけぼりにする。さらに報いを与えたり、貶めるのに加減をしたりもしない。明らかに何かを堪えたり容赦なく行なっていたりする意図を僕は感じる。

そうでありながら作者の線は寸分も狂わないのだから、やはりプロは違うと圧倒された。この人に熱烈なファンがいることも納得した。静も動もあの人の変わらぬ独特の線を以て成立している。


まだ3巻までしか読んでないのであまり熱をあげすぎないようにこの辺りで控えておく。

ちなみに榊は全く別の作品を託されている様子。