ピカソ

きっと僕には欠かせない芸術家の一人になるだろう。

熱烈な感情はなく、いつでもそばにいてくれるような、どこまでも続く穏やかな川のような、安心で繋がれている。


なんとなく
好みの時代や思想、タッチ、色彩が分かってきた。

そして作品を眺めるだけでなく、その画家達を知りたいと思うようになった。



今日、榊がいいよと言ってくれたから、朝方、家から歩いて中央図書館に行った。
そして初めて美術に関する書籍というものを手にした。

気分のまま数冊選んで、読書卓でそれぞれ流し読みをし、結果2冊借りることにした。

ひとつは主要な芸術家の半生と思想、美術史との関わりについてサラッと書かれた読み物、
もつひとつはピカソについてのもの。

美術書らしく大判だけれど、文章の書き方と内容、作品の選定、質量そしてそれらのバランスすべてがちょうど良いと思った。全編カラーだし(古い本なので、紙やインクのギラつきも抑えられててちょうどいい)。

彼がどのように絵と関わって歩んできたか、それを追って行くうちに、僕も絵が描きたくなって、少しスケッチをした。

単純な、思い込みかもしれないが、ペンに迷いが生まれなかった。
形をとることも、紙面に落とし込むことも、出来不出来は別として、いつもより格段スムーズに行えた。

上手くなった気分だ。

愚図と職場参観

「さっき会社覗いたら、鮎川、仕事中だった」

ちょうど昼食時にあたったので、榊が出先から会社まで会いに来てくれた。
僕は私用で外出するふりをして会社を後にした。

会社のエントランスから既に、少し離れたところにいる榊と目が合ってしまい、口元の緩みを抑えられなかった。用心して口元を手で覆って歩いた。

ふらふらと近所を歩き回りながら、数分の逢瀬を楽しんだ。


「さっき会社覗いたら、鮎川、仕事中だった」

榊が背筋を伸ばしてタイピングする素振りを見せた。

僕は榊が今着いたとばかり思っていたから、まさかそんな姿まで見られてるとは思ってなかった。

人からは姿勢がいいと言われるが、僕自身からすれば、重度のパソコン首で、肩から上はあまりに見苦しいものだ。

榊も、そんなことなかったよ、と言ってくれたが、うーん…



***



ここ数日、榊以外とのプライベートでダウンしていて、昨日とうとう僕は愚図ってしまった。

ただただ、自分の弱った部分に注意を向け、あらゆることに過剰反応(を起こ)して、そして勝手に疲弊していた。

対榊でさえ、十分なパーソナルスペースを確保したがったほど、気分が塞ぎ込んでいた。

嫌いじゃない。そんなことない。
むしろ好きだ。大好きだ。
でも、触れたくない。
本当はそれ以上に求めてるのに。

駆け引きとか、そういうのじゃない。中二病とかでもない。やみくもにブルーだった。

自分で自分が分からなくて、嫌悪したくなるほどの混迷っぷりだった。



疲労感というかダウンな感じはまだ幾分残ってる。

でも今は、
会えて嬉しい
もっと一緒にいたい
お喋りしたい
と思えるまでになった。

仕事もここ数日踏ん張れてなかった。
パソコン首のダサさったらなかっただろう。

今日は残業せずに帰ることにした。
榊の作ったほかほかのご飯を食べて、ゆったりと過ごして、明日を迎えたい。

榊と歩く

所用で、榊と河原を歩いた。
普段バスで通る道を、のんびりと人間の歩行速度で進むと、景色がまた違う。
流されることのない景色の中では、人が、動き、生きていることを感じられる。

河原なら都会でもパノラマに広がるから、人を珍しく俯瞰することもできる。
フォーメーションやランニングコース。掛け声や指示、雑談、自転車のベル。様々な図形が散りばめられ、様々な音とリズムがそこにある。
地下鉄通勤の僕には刺激的過ぎて楽しすぎた。

土手まで降りて川を覗いたりもした。
想定外の大きさのサワガニ?を何匹か見つけてはしゃいだ。
そして土のぬかるみにわずかに足を取られた。
表面だけ乾いた土を見て「チョコレートみたい」としか思えなかった自分の、脳みその低さに愕然とした。コンクリート生活に慣れた証。

川の水面は白く大きく穏やかに反射していた。
捨てられてひしゃげたままの自転車や水面から飛び出た木の枝は時が止まったようにそこにいた。
白と黄色のふさふさがついた、すすきのような草は風に優しく揺れていた。
<<prev next>>
カレンダー
<< 2014年10月 >>
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31