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補償格差が生むもの

これは、又聞きで聞いた話なのでやっかみをはらんだ噂である可能性もあるのですが‥‥。

毎日、パチンコに通い地元の酒場で酒を飲む人がいるという。
その人の家は原発から25km。
ほんの少し前まで避難準備区域であったところ。
彼は元々地元で小規模に野菜などを作って働いていた。
けれども、今年は作付はできなかった。
避難準備区域は作付が禁止されていたからだ。
けれど、今年は働かなくても食べていける。
義援金と東電からの補償金で去年より収入が多い。
震災直後からずっと家にいる。
避難勧告はあったが全村避難の対象にはならず家にいられる。
働かなくても酒が飲める日々に『東電さまさまだ〜』と喜んでいる。

まあ、これは噂です。
そんなことを思う人は勿論いたとしてもごくわずか。
多くの人は日々懸命に生きています。
でも、いないと言いきることもできないのが、今の田村市、今の福島の現状。
補償金の格差による思いが原因でいろんなところで、目に得ない溝ができていることを感じます。
例えば昨日も書いた補償金も福島県民全てではなく、同じように震災の被害を受けて、避難してきた人達を受け入れ、本当の意味での風評被害に苦しんできた会津や一部の中通の人達には与えられません。
貰える人を貰えない人はうらやましいでしょうし、貰えた人はどこか後ろめたく思う。
また貰えても金額に納得しない人もいる。
「原発の被害を受けたのは福島だけじゃないんだぞ!」
という声もチラホラ。

本当に苦しんでいる人の元に送ってほしいと思う反面、ちゃんと補償して欲しいとも思ってしまう。
お金が絡むと人の心はやっぱり醜くなってしまうようです。

全ての人が納得いくようには絶対できないから、どこで線を引くか補償問題は本当に難しいと思います。

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