2023-5-21 19:18
10年以上前だろうか。
ふと入ったもんじゃ屋のおばちゃんに言われた
「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」
その時は「あーだこーだ言って独身してないで、一度くらい結婚してみなさいよ」というニュアンスで言われてしまったので、正直受け入れられない言葉だったのだけれど、
そういうことかもしれないナァと思わされる(一連の)できごとがあったので、少し思い直している。
>地方イベント弾丸遠征
数日前からぽつぽつ漏らしていたけれど、そこまで本気ではないような素振りだったのが、イベント集会当日の朝に「やっぱり行きたい!」と大騒ぎ。イベントは遠方。時間は昼から。だけれど、向かった。起き抜けで。
行ってみて気づいたことがある。
【15年近く一緒にいて、行動することをだんだん億劫がっていたなと反省】
やればできるじゃん。国内旅行や弾丸日帰りも目的によっては悪くない。要はコスパ、価値次第なのかも
【榊のコミュニケーション能力の高さや、人間的魅力の再発見】
周りから愛される理由がわかったような。
面白い。だけじゃなく、きちんとマナーやルールの遵守や配慮がある。それは大前提=相手に感じさせず、地雷を避けまくったある種"完璧"なジョークを飛ばして、場を盛り上げる。あげ続けていた。
笑いの聖地とも言える地方都市(ほぼバレる言い方w)で、実行委員の方に、「榊くんはこっちの方が合うんじゃない?」と言われる始末(笑)
テンションは20ー30代、知性は40ー50代。見直した。
割愛はするけれど
その後1週間ほど、ぽつぽつとこの辺の考え方について会話を重ねた。
榊の考え方や伝え方、表現の仕方が変わったのか、
僕がそれまで一方的に決めつけたり勘違いや誤解していたのか。
榊がなりたい、外での榊像、というのが正確に共有できた。
そのためにすべきこと、していること、したくないこと、気になること。
僕の不安や心配、僕からのお願い(約束)。など。
【人間関係は疲れるもの】
榊のパートナーってことで、僕も挨拶されたり、SNSの交換、雑談(榊抜きで)などがあった。
結構苦労した。けれどそれも何年も仕事や家族以外の"第三の人"、特に初対面の人と話すことを年単位でしていなかったせいとも思う。避けてきた、とも言える。
無理することもないが、コロナ禍も明け始めて来ているので、少しくらい慣れておいて損はないと思い直した。
短時間にたくさんの人と会話した。とても疲れた。けれど、帰りの新幹線で記憶を反芻・整理しながら、前向きな意味で「仕方がない」ことだと思えた。当然、ともいえるかな。
そう思うと、余計な力を入れずに向かえばいいのだな、自分は力みすぎていたのだな、と思えた。どこがどうとまでは分析たどり着けていないけれど。一つの発見、一つの進歩。
【合う合わない/すみわけ】
僕も、同行したり、何かに協力や賛同することで、榊が直面している状況や課題というのが分かりやすくなった。
アドバイスや相談のし合いもスムーズになったり的確だったり、榊の気持ちを和らげるものだったりになれている気がする。
榊が穏やかで柔軟な対応をするようになった。
推し活なので、様々な人が一堂に会する。そのため、友情の片想いがたびたび発生する。
最初は当事者同士でしか測れなかった距離感や違和感が、僕という石が投げ込まれることで反応し、比較対象が生じ、それによって榊が認知した/できたものもあり、自然と「深追いするのはやめよう、」「あそこのコミュニティはあれで完結してるのかも、入るのはやめよう」と思えるようになったり。
一度はっきりと"疲弊"を漏らしたら、真逆の方面からフォローの言葉が届いて。
「俺、こっちのみんなのことちょっと忘れていたというか、おざなりにしてたというか…
こっちがあるじゃんね! それでいいじゃんね! 上手に付き合うわ!」と復活。
付け加えると、この"こっち"の方達は僕も付き合いやすそうなタイプの集まり。
榊自身の本質も本来はこっちなので、再認識してくれて、それでいいと思えてくれてよかったと思っている。
また、僕が同席していると、周りの当たりも柔らかくなることや(そう、なるっちゃなるよね)
いろいろ経験したり、外で力振り絞ってきたりしたあと、僕や僕がいるhomeに帰ってくるとものすごくほっとする、ことへの再認識も、推し活交流や僕らの関係を見直す(&言語化とその共有)よきツールとなった。
(なんか、その、ほっとするのを体感するために外に刺激求めに行くなよ?とも思わなくもないけれど
昔ほど棘のある気持ちではないことをここに記す。もうそういう素振りが榊から見えないからかもしれない)