墓参りした

僕の病気の治療が一区切りついたので、お礼参りに、榊の方のお墓に向かった。

外出らしい外出はいつぶりだろうか。

不安症の榊は、自粛のしすぎで電車への慣れがかなり遠い過去となってしまっていた。
行く気持ちはあれど、かなり緊張してストレスになっていたもよう。


でも、単なる私鉄でありながら、向かい合わせの座席がある列車なので、少し行楽気分。
とはいえ行き先は観光地でもなんでもなく、どローカルかつ隣町的な所。客も少ない。
榊の気持ちも解けてくる。

駅に着くと、町おこしのイメージキャラクターやら、装飾にはしゃぐ榊。よかったよかった。


お墓のある町、だけでなく
ここは偶然僕が住んでた町でもあった。

就職をギリギリで決めて、
採用の条件として、上京するように言われて、仕事しながら、バタバタと決めた一人暮らし先が、この町だった。

数年後に榊と知り合い、関係に至り、後から知った、墓のこと。
しかも家から歩いて行ける距離に。


迷信と思われて構わないのだが
榊と出会ってから物事が好転した僕だった。

なんなら上京も
親や地元と距離を置けて
自分に向き合ったり、自由になれた。

いろいろな病気も「見つかった」が、それはすべて榊が見つけたようなもの、ばかりだった。
そして病気の内容や、治療や通院などに、必ずラッキーがついてまわった。

本当に純粋に純真に守られてると思っているし、
ここ以外の場所でも
ゆかりのある土地が同じ時期に同じエリアにあったりして
お互いに「縁」を感じずにはいられなかった。


榊の親戚の方と挨拶させてもらったことがある。
そういう話もOKな方から、お墓参りに来て構わない、むしろ遠慮なくきなさい、とお許しをもらっている。

たまにふらりと1人で立ち寄ったり、それを目撃した住職からその方に伝わっていたりしたこともあった。


気が急いていた榊。
とにかく早く済ませようと焦るので手順がぐちゃぐちゃになりかけていた。

七五三の時期でもあり
質素に、それでいて幅を利かせるように写真撮影をされてる家族がいたので
調子狂わされたというのも一理あったり。


とにかく線香束を、と寺務所に行き。
お金を納めて、火をつけて…から、

本堂へのお参りも済んでなければ
手水舎で手も清めていないことに気づいて
榊に、本来の手順だけは守りたい、とお願いした。

線香束を交代で持ち、手を清めたら
本堂…

さすがに持って手を合わせるのはアレだな、と
本堂へ続く大階段の手前の鉢にそれを供えて

本堂にご挨拶。


で、
お墓用に線香を改めて頂き
水桶や柄杓を借りてお墓へ参った