眺めていられるだけで

幸せ



榊につられてSNSを活用してみたけれど、疲れるばかりだった。

楽しいこともあれば
退屈だったり、不快だったり
疲弊することもあったり。
長い付き合い/付き合い方にはならなさそうだ。



榊はその点まだ巧かった。

最初こそ力んで、仮想空間での自分像を打ち立て、その通りに振る舞ってきて、
誤解されたり
自分自身も疲れたりして
そこはもう「閉じ」た。けれど

等身大+αくらいで通すことにして
やたらと絡まない(関わらない)ことにしたらしい。


その切り替えのさなか、僕は、ひとり宙ぶらりんでSNSにいた。
とはいえ
榊の移行期間でもあったので、余計なことはしまいと、僕も沈黙を貫いていたけれど。

一挙手一投足に緊張する。
楽しいはずなのに、1人だと、少し重荷。

それは僕が、僕ではなくて、榊のパートナーとして扱われてるからかもしれないと思ったし、
同時に、
だからこそ僕自身もいやすかったのかなと思ったりした。



僕はそんなに友達はいらない。

思い思いにつぶやく知り合いを、眺めて、いいねして、たまにその逆になって、してもらって。
何かあったら薄れて切れてもいい。その瞬間は寂しくなるけれど悲しくはないくらいの別れ方で。
それで十分な性質なのかもしれないと気づいた。

表に立つには重すぎる。




だから、榊が動いて、僕はそれを眺めているだけで満足なんじゃないかなって思った。

パレートで言う2割の側で。



ーおまえ、こんなのにもいいねしたの?

え、だって…ナントカさんだったから、お仕事頑張ってるね、って意味で

ーかー(お人好し、生真面目すぎ!)



そうか。共感まで達さないものなら、しなくてもいいんだ

その言葉を受けた翌朝は
気圧で体や頭は気だるかったけれど、心は静かで穏やかだった。

流れてくるものも
いい意味でいつもより少し遠く見えた。

流れの速さがわからない、川ただそれだけの情景のように、それらはなりかわって。
僕は左右されなくなった
気がした。