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キュリー夫妻の願い

私は子供の頃、図書室によく通いました。
本が大好きだったからです。
今も好きですけど(というかどんなジャンルでも面白ければ読むオタクですけど)
その中でよく読んだ本は冒険ものと伝記です。
中でもキュリー夫人の伝記はナイチンゲールのものと一緒に何度も何度も読みました。
キュリー夫人が
「科学で人を幸せにしたい」
というようなことを言っていたシーンは長いこと心に残っていました。

キュリー夫人は言うまでもなく放射能という言葉の生みの親で、有名なラジウムの発見者。
彼女がいなければ放射線研究はここまで進まなかったし、彼女の娘婿であるジュリオ・キュリー氏は原子炉の生みの親です。
彼女達がいなければ原発は生まれず、原子炉事故は起こらなかった。
しかし、当たり前ながら彼女達を恨むつもりはありません。
ノーベル賞を受賞した時の記念の講演でキュリー夫人の夫、ピエール・キュリー氏はこう語ったと言います。
「人は、自然からの発見を良い方向だけに使えるのだろうか? 
ノーベルの発見がいい例でありラジウムも使い方を誤れば人を苦しめるだろう。
しかし、人は発見から悪よりもより多くの希望を引き出せると私は信じる」
と。

放射能も原子力という力も本来は人を幸せにするための力であった筈です。
X線など放射線のおかげで今まで手が付けられなかった多くの病気を調べ治療することができるようになりましたし、キュリー氏はラジウムで癌細胞を焼切るキュリー療法を発見して、それは今も医学の分野で利用されています。
放射線で植物の品種改良をしたり、宝石やガラスの色を変えたり、ものを光らせたり。
放射線が私達の生活をより豊かにしてくれたことは間違いないのです。
勿論、そこには被ばくというリスクもあったのですが、その被ばくと上手く付き合っていくことによって私達は放射線の恩恵を受けつつ暮らしていけたのだと思います。
私が「原子力発電」を否定しないのも、原発デモに批判的なのもその辺が理由。
原発が浜通りの多くの人の雇用を支え、電気を生み出して人々を幸せにしてきたのは紛れもなく事実。
不幸な事故で今回のような事件が起き、多くの人が辛い思いをしていますが、その原因は欲に囚われちゃんとした対応をしなかった東電のミスが殆ど。
要は人の使い方と対処の仕方であると思うのです。

勿論原発を使わないで済むならもう使わないで欲しいと思いますが、もう私達の生活から原子力を切り離すのは不可能な事。
ならば、正しく上手に付き合っていくことが出来るようにして欲しいと私は願い、思います。
それをキュリー夫妻もきっと望んでいるでしょうから。

安住の地はいずこ

昨日の夜、確かに書いてUPしたはずなのにいつの間にか消えていたので。

私は今は一人暮らししています。
独立の為家を出た時、アパートを借りました。
新築物件でしたから、初めて入った時は私の城だと本当に嬉しく思ったものでした。
その時の思いは今も忘れられないから、やっぱり私個人としては今回の汚染石の事件は、東電も悪いですが出荷した業者が悪いと思います。

家、というのは他のものと違うやっぱり特別なもので、アパートやマンションを買う時はそこが自分の安住の地になると信じて本当に決死の覚悟で買ったり借りたりするのに、そこが危険だと言われたら、どれほどショックか考えたら解ることです。
問題の会社の社長さんは
「国が基準を出してくれなかった。避難区域に指定されていれば出荷しなかった」
と言います。
でも、あの当時皆が放射能に今以上に敏感になっていた頃、危険かもしれないものを出荷するという考えが私にはよく解りません。
後の事を考えない行為、思いやりが足りないと言われても仕方がないでしょう。

あの時は、皆、目の前の事に確かに必死だった。
震災直後で建築資材が求められていて、目の前で必要とされているのに売れないというのが困ることで、という事情も分かりますが…。

二本松のマンションに住んでいたのは双葉から避難された方であったと聞きます。
危険と解っていても上階の方は再び引っ越したくないとおっしゃられているとも。

福島県の人間にとって「安住の地」はどこにあるのでしょうか?
ほんの一年前までは間違いなく、ここにあったのに。

滑って転んで、汚されて

昨日、大雪で一生懸命雪かきをしました。
そのおかげで今日は道路も駐車場もほとんど雪が溶けていて車は走りやすかったです。
車は。
まあ、私自身もそうでしたけど、どうしても車とその周辺が雪かきは優先になるので歩道が後回しになります。除雪車もなかなか歩道の雪かきはしてくれません。
結果として、歩道はぐちゃぐちゃ、一部は踏み固められてつるつる。
私は朝の犬の散歩でまた滑って転んでしまいました。
夜は夜で、凍った道路がアイスバーン。
車もスリップするし、犬の散歩も一歩歩くごとにつるつるで。
命がけでした。
膝のすりむきも三つ目。
ばんそうこう買い足しました。

最近は傷口に消毒液は使わない方向になっているのだとか。
創傷被覆材とか覆うと治りが早いそうですよ。
私は普通にばんそうこうつけていますが。

それはさておき、今日はそんなわけで通学路を歩く子供達も大変だったみたいですが中の一人が
「トラックに泥水かけられた上に、『ちゃんと歩け!』って怒鳴られた〜」
としょげていました。
トラックにあった業者の名前を子供達は覚えていましたがそれを聞いて、私は思わずやな感じに。
名前は伏せますけど、例のコンクリートの会社さんじゃないかなあって。
今日、市の関連には田村市内で問題のコンクリートが使われた形跡はなさそうだと文書が回ってました。
でも、まだ調査中で安心はできません。
泥はねくらいでしたら、洗えば落ちますけど汚染されたコンクリートはそうはいきませんからね。

慎重に氷の上を歩いてその上で滑ったり転んだりしても自分の責任で、痛いのを我慢して歩かないといけませんが、泥水をはねて服を汚したり怪我をさせたりしたら、責任はやっぱり水をはねた人にあると思います。
そこからどうするか。これからの対応にその人達の真価が問われることになるでしょう。
願わくば八つ当たりに怒鳴りつけて、逃げ出すようなことはせずに誠実に対応して欲しいものですが。

あ、私は雪と泥水の話をしています。
放射能の事では、ありませんよ。
と、言っておく。一応。

                                                                                      

始めが肝心

結局福島の大雪は積雪約30センチで落ち着きました。
朝には止んでいたので、今日は一日雪かきにあけくれました。
一人暮らしの家と職場も。
雪かきしないと車も出せないし職場なんかは駐車場が広くて大変でした。
家で2時間、職場3時間。じみにクタクタです。

ホームセンターでは雪かきの道具が完売するくらいで、どの家もお店も雪かきをしていたようです。
建設会社も大忙し、いろんなところから依頼を受けて、ユンボで雪かきしてました。
どうせついでだから、と知り合いの所や、施設なんかも頼めばやってくれたりして。
そうでなければ今日中にめどはつかなかったかもしれません。
I建設さん、S商会さん、本当にありがとうございました。

雪国の雪かきというのはとにかく始めが肝心。
雪の積もり始めの時に雪かきをしておかないといけません。
最初のうちは雪もやわらかくて取り除きやすいのですが1日、2日放置しておくとすぐに固くなって手が付けられなくなってしまいます。
そうなると次に降ってきた雪がさらに積み重なって下手したら春までそのままってことにも。
でも、最初に取り除いておくと、雪が溶けて次に降っても積もりにくくなりますし、出入りも楽になります。
だから、面倒がらずに最初に頑張ることが大事なわけです。

震災後、何を考えても原発事故が頭をよぎるのはもうなんだか癖になってますが、除染も雪かきと似たようなものなのかもしれません。
最初に頑張っておくと後々、楽に過ごせるようになると。

大丈夫。
北国の人間は頑張ることには慣れてますから。

昨日、雪遊びできないな、と愚痴りましたが子供達はあまり気にしてないようですね。
というわけで今年最初の雪だるま氏をご紹介。

ちなみに昨日の二枚目の写真は、お人形様という船引の厄除け守り神です。
こちらもついでにご紹介。

雪と放射能

今福島は雪です。
けっこうな大雪です。
現在進行形。
明日は雪はきじゃなくて雪かきですね。

まあ1月ですし福島も東北ですから別に驚きはないのですが、ちょっと困るデータがあります。

毎日調査されている環境放射能の測定値。雪の日は高めに出るらしいのです。
それほど凄くという訳ではないのですが、微上昇という感じ。
空気中の放射性物質がくっついてしまうのかもしれません。
正確に専門家が出したデータではありませんが雪の検査ができるわけでもないので、今年は余り積極的に子どもに雪遊びさせたいという先生も保護者もいないでしょう。

雪は厄介ですが遊んで楽しむのが数少ない冬の楽しみなのに。

雪の少ない浜通りから会津に避難した皆さんはどんな気持ちでこの雪を見ているのでしょうか。
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