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命がもったいない

いろいろ語りだすと長くなるのが解っているので、避けていた話題ですが
私は学生時代、小学校から高校卒業までずっといじめられっこでした。
小学校時代はいじめられて骨折したこともありましたが、まだ相手も自分も子供だったのでそこまで恨みには思っていません。
でも、
中学、高校との間は毎日今日死のうか、明日死んでやろうかと遺書常に机に入れていた日々でした。
どんなことをされたかを、あえていう事はここではしません。
でも、私にとっては毎日がいっそ死んだ方が楽になる、と思えるくらいの日々でした。
当時は登校拒否や、引きこもりなど許されない時代。
しかも田舎町。下手したら12年一緒のクラスの人もいたりして毎日いじめられるために学校に行って、いじめられて戻ってきました。
今にして思えばいろいろと私にも原因はあったと思うのですが、当時はそんなことは解らなかった。
教師に相談しても何の解決も示されず、倍返しの攻撃が来るだけ。
結局相手が飽きるまでじっと待ち続ける事しかできなかったのです。

短大に入ってからもいいように使われる日常はまあありましたが、今までの人間関係がリセットされたのでいじめられることは無くなりました。
仕事につき、2年後短大卒で入った私の後輩として大卒で入って再会した相手が子供の頃、私をいじめていた人で
「あのころはいろいろあったねえ〜」
とのんきに笑ったのを見た時、私は本当にはらわたが煮えくり返りました。
私には今もあの時、あの頃の記憶が、悲しく辛い日々が鮮明に思い出されるのに、いじめていた相手にとってはその程度なんだな。と。

いじめというのは、例えどんなに解った気になっても、同じようないじめを受けた人間であっても、共感はできてもその辛さは決して他人には解りません。
絶望の果てに死を選ぶ本人の気持ちは本人以外には理解できないのです。

私もその辛さが解るなんてはいいません。
でも! 死を選びたいほど苦しいと思っている人がいるなら、私は言いたいです。
そんな奴の為に死ぬのはもったいない。
今がどん底なら後は絶対上がるだけ。いいことが必ず待っているのですから。
今、命を懸けて何かを訴えようと死を選んでも、一年先には誰もそんなことを思い出してはくれません。
いじめた相手も「ちょっとした過去の傷」くらいにしか思い出すことさえしないでしょう。

震災の崩壊した街並みの下。
そこには死にたくないのに、死ななければならなかった人も大勢います。
だったら生きているだけでもそれは運のいいことです。
いじめをする最低の奴らの為に命を捨てるなんてもったいない。

どうか、生きて下さい。と。


結局月並みな言葉しか言えないのですが…。
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