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曇天の鴉(益→榎)

何気なく、視軸を僅かばかり上空へ移した時だった。羽がボロボロの鴉を見た。
ああ、鴉だ。黒くて貧相な細い身体。あの羽でよくもまあ飛べたものだ。
哀れだなあ。
鴉は電線に止まり下方を見ている。自分を見ているのかもしれない。目が合ったような気がする。
暗い光を湛えた鴉の眼光。何も映していないような。まるで。それはまるで僕だ。

そこでハッとした。
何を卑屈な事を考えている。
そもそも卑屈ですらないかもしれない。
ボロボロの羽の鴉がいたからといって羽がボロボロの鴉全てが悲壮な生を歩んで来た訳ではないだろう。まして卑屈な気持ちなど持っているかどうかなんて知れない。どんな生を歩んで来たとしても鴉は鴉なりに幸不幸を受け入れているはずだ。だから、卑屈だと思うのは鴉に大変失礼だ。

益田龍一は苦笑した。
鴉に失礼とは、大概自分は疲れている。
湿った空気の6月の早朝である。
益田は例によって榎木津が明後日の方向へ投げた依頼を受け、地道に調査し2日間の張り込みで裏付けを取り後は依頼人に報告をして終わりという段階であった。依頼人には今日の昼過ぎには調査結果を報告する約束だった。

カァと一声鳴いて鴉が電線から飛び立った。曇天の早朝の空を漆黒が切り裂くように飛んで行った。途端に胸が苦しくなった。
ここ数日ろくに寝ていないので睡眠不足と丸2日間の張り込みによる疲労が原因だと思う。
思うが。
胸の苦しさを紛らわせるように益田は目を細めて大して眩しくもない空を見やる。鴉の姿はもう見えない。
嗚呼。
溜息とも嘆息とも喘ぎともつかない息を吐く。
嗚呼。会いたいな。
そう思った。

彼に会いたい。顔がみたい。声が聞きたい。それから叶うなら、少しで良いから体温を感じたい。
会いたい。

曇天を見上げながら益田はもう一度苦笑する。やはり自分は疲れているようだ。
卑怯は信条で貧弱は唯一の武器で卑屈は多分、本性だけれど。
ここまで駄目になる事はそうそうない。
そもそも駄目になっているかさえ定かではない。
いや、もう良いや。早く帰ろう。そして寝てしまおう。起きたら飯を食って依頼人に調査の報告をして、事務所へ寄って報告書を書いて和寅と馬鹿な他愛もない話をするのだ。そうだそうしよう。後の事はもう知らない。益田は曇天の空から地べたへ視線を移す。

おいマスヤマ!

身体全体の神経が聴覚になったかのようだった。その声を細胞の全てで聴き取った。だが声のした方を振り向けない。硬直してしまった身体を心臓の鼓動が揺する。
嘘だ。そんな事がある筈ない。そんな都合の良い事が起こる筈ない。
聞きたかった声が。
聞こえる。

「マスヤマ!!おいッ!」
その声は徐々に近付いてくる。騒々しい足音と共に近付いて益田の視界に眩しい光を差し込んだ。
「‥‥え、えの」
「そうだ僕だ!」
その光は、6月の曇天の早朝の下で神々しく自ら発光しているかのような眩しさで益田の視界を焼いた。長らく見ていなかったその顔。それが目の前にあった。
榎木津が目の前にいる。
先程の胸の苦しさが再び襲う。けれどそれは若干の差異を含んで益田の胸を締め付けた。
「な、なんで居るんですか‥‥?こんな朝早くにこんな所に‥‥」
「僕は今から帰る所だ」
「何処に行ってたんですか?って、ああ木場さんと呑んでたんですね。酒臭いったら‥‥」
榎木津からはアルコールと煙草の匂いがした。それが幾分胸の苦しさを和らげてくれた。
「お前は何をしている。こんな朝早くからーーん?また覗きか?コソコソと人の後を尾け回してこの覗き魔が」
「覗き魔って何ですよ‥‥!ぼ、僕ァその、榎木津さんがぶん投げた依頼をですね、こう拾い上げて地道に探偵業務を遂行し」
「ああもういいよ。煩い。僕は眠い」
益田の言葉を遮って榎木津は本当に眠そうな顔をしながらそう宣言すると、長い腕を益田の肩に回した。アルコールと煙草と榎木津の匂いが鼻先を掠める。せっかく和らいだ胸の苦しさが途端に倍増した。
「さあ、このまま事務所まで連れていけ」
体重を預けられた肩に榎木津の体温がじわりと伝わってくる。
「な、何でですか‥!僕だってこれから下宿に戻って寝るところだったんですよ、それから飯を食わないと‥‥」
頬に柔らかい髪の感触。苦しさが、これでもかと胸を締め付ける。
「じゃあお前も一緒に寝ろ。その後一緒に飯を食う。いいな?」
至近距離から顔を覗き込まれて否定を許さない声音で云われては、下僕としては頷くより他に無い。
「っ‥‥は、はい‥‥」
ほら、さっさと行くぞとしな垂れかかったまま歩き出した榎木津につられて歩き出す。歩きにくい事この上ない。

会いたいとか。
顔が見たいとか。声が聞きたいとか。体温を感じたいとか。
全て叶ってしまったじゃないか。
何なんだよもう。
あんたは全知全能の神か。

今、益田の身体は、数分前まで支配していたこの曇天のような重苦しい疲れや卑屈さがすっかり消えていて、代わりに胸を締め付ける苦しさに支配されている。
最初の胸苦しさとは違う若干の差異を伴うその痛みは、回された腕に掴まれた肩から感じる体温や頬に感じる髪の感触などから身体中に広がっていった。

あの飛び立った鴉を思う。
ボロボロの羽で何処まで飛んでいくのか。何処を目指して飛んでいくのか。
もう会う事も無いだろうが、もし再び会えたら聞いてみたいと思った。
鴉は喋らないだろうけれど。


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メモ

榎益メモ
・バックハグ
・サンオイル
・かわいいね
・雷怖い
・甘やかすなよ

とりあえず今後何らかの形で現したい。
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