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今とこれからの事2

私達は「原発被災者」です。

「原発事故」は天災でも、そこから被害が拡大したのはいう間でもなく人災です。
そしてこれから私達が戦う相手も。

私達の敵は見えない放射能と、見えない人の悪意と噂。

無責任に情報を操作する国と、報道。そして放射能汚染地という汚名と、その現実です。

原発で作業を続ける方の努力を否定は一切しませんが、安全になる道のりはおそらく遠いのでしょう。

日々の報道で「原発の現在状況」が報道されず、汚染水の事ばかりが報道されていることがそれを証明しています。
電源が通り、状況が安全に近づいているのならそれが報道される筈だからです。
そして、良くなっていない原発からは放射能が今も出続けている。
だから実際問題として、福島がある程度以上の放射能を受けている地域であるのはある意味風評ではなく事実なのだろうと思います。

それでもいい。
この地に生きると決めた時、私達はある意味覚悟を決めています。

放射能があってもそれと上手く付き合っていこうという覚悟をみんなきっと口に出さずとも持っています。

だから、私達原発被災者が、今本当に望むのは三つなのです。

原発がこれ以上悪くならずに一刻も早く終息すること。

放射能と正しく付き合って行く為の情報と、援助。

そして福島を見捨てず、同じ日本人として共に生きて行く仲間として信じ、手を差し伸べてくれる人。

それだけが叶えば、私達は前を向いて生きて行けます。

きっとこのブログを見て下さる多くの方々は私達が望む三つ目の願いを叶えて下さる方でコメントは単なる形の一部でしかないのですが、それがあると外と繋がっていると言う思いを感じて嬉しくなってしまうのは私の弱さであり甘えでした。

ごめんなさい。
そしてありがとうございます。

普通の生活に戻れたように見えた我が町もも、仕事を失った人、失いつつある人、問題は山積みです。

加えて「原発被災者」は私達だけでなく福島県の人間全てで浜通りには「震災被災者」も大勢います。
家を失った多く方々には私達以上に彼らのには救いと助けとメッセージが必要です。
故郷に戻れず大変な思いをしている方々にも。

だから、福島を嫌いにならず見守り信じて下さる方々に心からの感謝を捧げつつ、これからもどうか私達を信じて、皆さんと一緒に笑いあえる日が来ることを待っていて下さい。

震災の事を忘れず、できる意味と事でいいので応援していて下さい。

心からお願いします。どうしてもお礼とお願いを言いたくて長くなりました。

これからは当たり前の日常の事を交えてまた原発側の近況報告を書いていきたいと思います。

どうぞよろしくお願いします。

今とこれからの事1

まずはお礼を
おいでくださった皆さん。
コメントを下さった皆さん、ありがとうございます。

先の投稿でコメントを催促したようですみません。
コメントを催促したわけでは、多分あるのですが‥‥それは私の弱さです。
ここで、言い訳とお礼を兼ねて私達の現状を纏めなおしてみます。

今、私達の町を見に来た方はきっと驚くでしょう。何度もちょこちょこ書いていますが、私達の市は「東日本大震災」の被災地では無いような気がします。

震災から最初の一週間は避難の方の受け入れや震災による家屋破損の後片付けなどで大わらわでした。
でも、それはある意味後片付けができるレベル。
避難所の方々を受け入れられるレベル。
震災による直接の死亡者は0、
怪我人も僅か、家屋倒壊は数件、一部破損などは多くてもその程度であったのです。
津波で大きな被害にあった宮城、岩手、浜通りの皆さんに比べれば被災地などと言うのはおこがましいほどに。

それが一転したのは13日から15日にあった原発の爆発の為です。
原子炉がメルトダウンを起こしたということで多くの人が避難したからです。
今は、もうだいぶ後ろに埋もれていますが、その頃は屋内退避エリアも拡大されいつ町が避難エリアに入ってもおかしくない状況でした。
子供がいる家庭の多くは必死の思いで避難を行い、避難できない人以外は皆いなくなったゴーストタウンと化しました。
地元スーパーもコンビニも全て休店。一部は撤退とはっきり宣告されていました。


それから3週間。

事態はまったく好転しないまま、けれども悪くはなっていないという状況が続いています。

避難していた方達も多くが戻ってきました。
スーパーも再開され、商品の流通も僅かを除いて戻り、一部は平常時間まで営業しています。
ガソリンも並ばずに買えるようになりました。
水道も、ガスも、電気も復帰しています。
インターネットもできます。
保育所、児童館などは既に受け入れを開始し、明日には小学校の入学式、来週月曜日には幼稚園の入園式も行われます。
田村市が受け入れていた大熊町の避難所の方々は会津若松に移動され、避難所の対応も無くなりました。
今も、自宅が避難圏内に入っている為、行政局や友人の所に泊まり込んでいる人もいますが、彼等でさえ入浴、衣食にはあまり困っていません。

さて、私達は本当に「東日本大震災」の被災者でしょうか?

違うと思います。

福島は嫌いですか?

先週、福島出身の西田敏行さんが、福島に来て応援をしてくれたと言うテレビニュースを見ました。
芸能人が福島に来たというニュースは本当に久しぶりです。いわき市には何人かいらしているらしいですけれど。

日本中が、世界中が福島を心配してくれている。
それは解ります。心から感謝しています。
けれど、福島に来て、一緒にがんばろうと言ってくれる人は本当に稀です。
今、福島に新しく来る人はどうやら殆どいないようです。
先日の「福島は怖いですか?」と書いた記事にもコメントは0。
やっぱり、皆、心のどこかでは怖いと感じているのだろうな。と思いました。
別にひがんだりしている訳じゃありません。
放射能は見えないから怖い。
解らないからなお怖い。
ある程度信じて待つと決めて、少し諦めたとはいえ、まだ目に見えない毒が私達の周りに振っているのではないか、内部被ばくを起こしているのではないかとか考えると今も確かに怖いです。
放射能は病気を引き起こす可能性を高める。
けれども、全員が必ず病気を引き起こすわけでは無い。

私達が怖いのですから、他の方達はもっと怖いのは仕方がないかとも思います。
今は、野菜や農産物を無理に食べてともいいません。

ただできるなら福島の、人を大地を、空気を怖がらないで欲しいと願います。

西田さんのように、手を差し伸べて欲しいと思います。

福島をどうか嫌いにならないで

我らが故郷

今日、というかもう昨日ですが、大熊町の皆さんが会津若松へと移動されました。
私は仕事があったので朝しか職員の方とお会いできませんでしたし、忙しそうだったので少し挨拶しただけでした。
避難所の方々ともとくに話しもしませんでした。

でも、震災後1カ月の一番不安だった時を一緒に過ごした方達です。
わずか以上の思いはあります。
どうか、元気に、そして安心できる空の下で過ごされ、いつか故郷に戻れる日が来ることを願いたいと思っています。

さて、気がつくと最近、原発の安定化作業の話を聞きません。排水の話はうるさい程ですが、一時期毎日、言っていた注水の話はぜんぜん聞こえません。
おそらく、大きなトラブルはなく毎日注水作業等は続いているのだろうと思います。
ただ、安定まで長期化が予想されるとのこと。
安心できる情報を聞けるようになるのはいつのことでしょうか。
全体的に見て環境放射能数値は下がっています。一時期心配された飯館村も、一番高い時期の半分にまで下がっているようです。水道水も放射性物質が検出されなくなってきているとのことです。

ネットを少し歩くと、いろんな方が放射能についていろんな意見を書かれています。
いろいろありすぎてどれが正しいのか解らない程です。

楽観的な意見も悲観的な意見も、一応全部目を通しています。
でも、そのことで悩むのはとりあえず止めました。
私達はここで生きて行く。

例え、汚染域と言われようとも、ここは福島県は私達の故郷なのですから。
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