今日はあの東日本大震災からちょうど一カ月。
皆で、震災発生時間に黙とうを捧げました。
もう、地震が起きませんように。
被害にあった方々の心に少しでも安らぎが訪れますように。と祈りながら過ごした3時間後。
福島では最大クラスの余震が起きました。
震度はいわきで6弱。
田村市は5弱です。避難しようにも外は雨。
幸い、揺れは比較的短く収まったので田村市は表向きの被害は殆どありませんでした。
原発の電源が一度落ちた事が心配であったくらい。
その後も余震は何度も続いていますが、あの日程の恐怖はありませんでした。
思うに、あの日の地震が特異であったのは強い揺れがずっと数分以上も続いたことのように思います。
一気にドン!
と来るばかりでなく、長く長く揺れが続いたことが被害をより拡大させたように思います。
震度3以上の地震が無かった日は無いこの一カ月。
原発もまだ終息のめどが立っていない。放射能数値は微減傾向にありますが、計画避難や避難準備区域などの話も上がり新たな不安を育てていきます。
当たり前の日常が戻ってきたように見えても震災はまだなかなか収まってはくれないようです。
今日で、あの震災から一カ月が経過します。
表向きは三月のあの雪の日と何も変わらない朝。
でも、空気の色と、私達の生活と、心は間違いなく変わっています。
あの日、収まる事のない地震から必死に身を固くし、落ち続ける瓦に恐怖しながら必死に避難誘導をした記憶は、まるで昨日の事のように思い出されます。
でも、あの日、この震災が正直ここまでの大災害になるとは思いもしていませんでした。
津波の被災地や、宮城に比べれば被災地と呼ぶにおこがましいこの地。
でもあの大震災は、確かに私達を変えました。
まだ原発は終息のめどを見せません。
津波の被災地の復興もまだ見通しが立たず、行方不明者の全容把握さえ難しい現状。
放射能汚染の汚名と恐怖と戦わなくてはならない福島の現状を見ても復興の道のりはまだ遠いと思います。
ただ、一つ確かな収穫はありました。
玉石混合いろいろあっても、人間の心は確かに人を思いやり、支えていく力を持っているのだと。
そして、誰か一人でも手を差し伸べてくれる人がいれば、人間はどんな絶望からも立ち上がっていけるのだと解ったことです。
震災があって良かったとは言いません。
そんなこと、家を無くし、家族を亡くし、住むところを、故郷を無くした人達に口が裂けても言えません。
でも、私は生きていてよかったと。
今、この時、この国、この場所に生まれて、生きられて良かったと心から思います。
震災の復興が一日でも早く成ることを、心から願い、祈ります。
皆さんも、できるなら、これからも東北を見守っていて下さい。
お願いします