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DASH村が象徴する福島の今

私が昨日話題にしたDASH村というのは、知らない人には良く解らないかと思いますので改めて解説を。
某テレビ局の10年続いた有名番組「ザ!鉄腕!DASH!!」という番組があります。
TOKIOのメンバーがいろんなことにチャレンジする人気番組で、その中に「DASH村」という企画がありました。
地図にDASH村の名前を載せると言う事を目標に、土地を開墾し農作業や、土器つくり、食材づくりなどをするというコーナーです。
その舞台となった村は、場所は極秘とされていましたが、実は地元の人間には福島県、浪江町であるのは結構有名な話で、ちょっとぐぐれば場所まで出てきます。
地元の人との交流も盛んで浪江町の人達はそれこそ町ぐるみでこのDASH村を大事にしていて、テレビのスタッフもまた協力者の皆さんを大事にしていたのです。

ですが、浪江町は東西に長い町で浜通りに属します。
今回の地震では震度6強。
建物の多くが破壊され、沿岸部は海に面しており、津波で壊滅的なダメージを受けました。
さらにその隣が福島原発のある双葉町。
村の半分は20km範囲内で警戒地域に指定されて、残りの半分は計画的避難地域となってしまいました。
隣が飯館村。放射能レベルは正直言ってかなりという言葉以上に高いエリアになっています。
このまま企画は無かったことにされてしまうのかとも思ったのですが、24日、日曜日の放送で今まで非公開であったDASH村の場所が公開されました。
そして、地震と原発事故でダメージを受けた事をカミングアウトしたのです。
動画をUPして下さっている方がいたのですみませんが、貼りました。
もし、良ければというか、ぜひ見て下さい。
震災によって福島の抱える悲しみと、苦しみ。
その全てがここにあります。

www.youtube.com

www.youtube.com

私はこの番組を見て泣いてしまいました。
その結果が冷静さを欠いた昨日の文章です。
意味が解らなかった方もあったかと思います。
申し訳ありませんでした。
正直、復興は並大抵のことではないと思います。
原発が落ち着くまで、落ち着いてから村を再建できるまでいったいどれほどの時間がかかるか、解りません。

でも、いつか、いつかDASH村が再び再興される日が来ることを祈り願っています。

その時が福島が本当に復興した時だと思うのです。

チェルノブイリから25年

チェルノブイリの事故が起きたのは今から25年前の4月25日であったと聞きます。
その当時、私はまだ子供と言える時期。
あまり記憶にも残っていませんが、ただ、避難地域となったエリアに残り続ける人がいると言う事が理解できなかったことだけは覚えています。

それから25年。 私達自身がまさかそれに近い立場になるとは思ってもいませんでしたが、得体の知れない放射性物質という幽霊のようなものに付きまとわれる不安の日々はまだ続いています。
環境放射能は微減の傾向を保ちつつ誤差の範囲内で上下をしていますが、急激に減少はしていません。
これは僅かずつでもまだ放射性物質が放出され続けているということなのでしょう。
いつ本当に安全になるのか、原発の安定化作業がまったく進んでいない今、先の見通しは全く見えません。
避難区域にある都路卵や都路牛の飼育は困難になったということで殺処分になったところもあるということでした。
昨日も話題にしたDASH村の特番では浪江で牛と養蜂をやっていらした方が
「三日に一度餌をやりに行く度に牛が死んでいる。もう牛小屋に入るのやんだ」
と悲しげに言っていました。
人間は逃げられても、動物達はそうはいかない。
避難の時に連れてこられず置き去りにされたペットが野生化している。あるいは餓死しているという話も良く聞きます。ニュースではなく現実として。
彼らや避難された方々を思えば私達など被災者顔などできませんが、不安な思いは消せません。

今回の事故はチェルノブイリと同じレベル7。けれど汚染のレベルはそれよりも低くてすむらしいとのことです。

今は本当に待つことしかできない。
まだ原発の事故による死亡者が0であるうちに、どうか事態が収束することを今は祈り続けます。


遠いチェルノブイリの人達の気持ちが、今は少し解ります。

いつか帰ろうDASH村

少し前のブログで鉄腕DASHのDASH村の話をしました。
今まで非公開だったその村が福島にあることが昨日のテレビで公開されました。

地震の時、撮影中だったとかの話も。
当たり前の事が幸せだという言葉に泣きそうになりました。姿の見えない幽霊に付きまとわれているようだと地元の方がおっしゃっていた言葉に本当に泣けてしまいました。

10年、苦労して育て上げてきた村への思い。
そして福島を見舞って下さった城島さんやメッセージを送って下さったTOKIOの皆さん。
村の為に力を貸してくれた人たちの苦悩にTOKIOの皆さんや、スタッフが寄り添ってくれた事が皆さん、きっととても嬉しかったと思います。

DASH村の企画はもう消えてしまうかな、とも思っていたのですが、皆さんはいつか村を復興させたいと終わったわけではないと思ってくれている様子。

浪江町は今回の計画避難地域で、放射線数値は今も、かなり高いエリアです。

正直な話、よっぽど落ち着くまで、タレントさんが入るのは難しいと思います。
1年先か2年先か‥‥。

でも、いつか本当にDASH村が再開される日が来ると、みんなが帰る日が来ることを願い、私も信じたいと思います。

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