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美しいもの

もう三春の滝桜などは花が落ちてしまっていますが、ようやく田村市は桜が咲きはじめました。

田村市にもいくつか銘木と言われる桜がありますが、それらは連休ごろに多分満開になると思います。
機会があったら撮影してみたいと思います。
先週は有名どころの桜ばかりを公開しましたが、福島は桜以外の花も綺麗です。その中にちょっと珍しい花もあります。
赤と白の花が一本の木から咲いているのがお判りになりますか?
吹き寄せと呼ばれるものですが、これは桜ではなく梅らしいです。
八重の梅は結構珍しいので桜と間違える人も多いようです。私も間違えました。
中には白とピンクがまじりあっているものもあって綺麗です。
こんな花が時々、無造作に家の庭に咲いてたりします。
桜が終わっても福島は花盛り。

色々と暗い話がありますが、それを埋める綺麗なものを大切にしていきたいと思います。

花とか、人の心とか。


すれ違うなにか

遠いロシアでヨウ素入りのスープを「フクシマ」と名付けて売っているとかYahooニュースで見ました。

まあ、心無い人の福島に対する偏見差別はホントに今に始まったことではないので今更気にはしませんが、最近福島の中ですら他所の町に対して色々な思いがあるようです。

こんな話があります。
福島市に住んでいる女性が田村市に住んでいる母親に
「原発に近いからこっちに避難して来たら」
と言った。
田村市の母親は娘に
「福島の方が放射線数値が高いからこっちへおいで」
と言った。
心配な娘は母親の所に行った。
母親は心配して娘の所に行った。
どちらも来る相手に対して
「そっちの物は何も持ってこなくていいからね」
と言い、相手が来るつもりはないと知るとすぐに帰った。
そして自分の家に帰るとすぐに服を洗濯した。

笑い話か、ブラックジョークのように聞こえますが、ほぼ本当にあったことです。
皆、自分の住んでいるところは大丈夫。
他所の町は心配。そう自分をごまかすようにして生きているのです。

今もって国は福島の為に一番大事な情報を与えてはくれません。
正直乱暴な言い方になりますが、作業員の被ばく量が限界に近くなった、とか汚染水の濃度が増したとかはどうでもいい話。
それよりも今必要なのは、放射性物質の拡散している量だとか今後の様子とか、対応の仕方とかそういうことです。

郡山市は校庭の表土除去作業を開始しましたが、これを責める口調の文部科学省。ならばもっと有効な手段があるのかと伺いたいところです。
思いや願いもすれ違うばかり。


震災から一カ月。止まる事のない心配。溜まるストレス。
それが余裕のない気持ちを生み、すれ違う心や最終的に人々に差別や偏見を生むのだと思います。

その心配を少しでも取り除く努力を、国や自治体に望むことはできないのでしょうか?

英断と見栄

郡山市が小学校や保育所などで、独自に校庭の土などを除去し、放射性物質が広がらないようにする措置を取ると発表しました。
県はまだそのようなことを考えていない、ということですが、いち早く動いた郡山市のこれは英断と言えると思います。
最大の課題は残土の処理で、県の言い分は「処分場所もなく、作業者の体への影響を考えると県独自では判断できない」とのことですが、その危険な場所で子供達を遊ばせるのなら少しでもリスクを減らす努力はすべきだと思うのです。
国の対応など待っていたら本当に何時になるか解りません。
反面、いわき市では学校給食が始まり、地産地消と風評被害を取り払う意味で県産の食材や牛乳を使用すると発表しました。
基準値を下回っているとはいえ、心配な食材で子供達に給食を食べさせると言うことは個人的にはあまりいいことであるとは思えません。
現時点でも、通常以上の放射性物質は検出されているのです。
子供には少しでもリスクの少ないものを食べさせたいと思うのは当たり前の事。
子供を大人の見栄の道具に使ってはいけないと思うのです。
これから、私達は放射能と長く付き合って行かなくてはならない。
なら、今余計な見栄を張らず、自分達にできることをすべきだと思うのです。

知識を蓄え、リスクを理解したうえで正しく注意して生活をすること。
それが本当の意味で福島で生きることではないかと思います。

DASH村が象徴する福島の今

私が昨日話題にしたDASH村というのは、知らない人には良く解らないかと思いますので改めて解説を。
某テレビ局の10年続いた有名番組「ザ!鉄腕!DASH!!」という番組があります。
TOKIOのメンバーがいろんなことにチャレンジする人気番組で、その中に「DASH村」という企画がありました。
地図にDASH村の名前を載せると言う事を目標に、土地を開墾し農作業や、土器つくり、食材づくりなどをするというコーナーです。
その舞台となった村は、場所は極秘とされていましたが、実は地元の人間には福島県、浪江町であるのは結構有名な話で、ちょっとぐぐれば場所まで出てきます。
地元の人との交流も盛んで浪江町の人達はそれこそ町ぐるみでこのDASH村を大事にしていて、テレビのスタッフもまた協力者の皆さんを大事にしていたのです。

ですが、浪江町は東西に長い町で浜通りに属します。
今回の地震では震度6強。
建物の多くが破壊され、沿岸部は海に面しており、津波で壊滅的なダメージを受けました。
さらにその隣が福島原発のある双葉町。
村の半分は20km範囲内で警戒地域に指定されて、残りの半分は計画的避難地域となってしまいました。
隣が飯館村。放射能レベルは正直言ってかなりという言葉以上に高いエリアになっています。
このまま企画は無かったことにされてしまうのかとも思ったのですが、24日、日曜日の放送で今まで非公開であったDASH村の場所が公開されました。
そして、地震と原発事故でダメージを受けた事をカミングアウトしたのです。
動画をUPして下さっている方がいたのですみませんが、貼りました。
もし、良ければというか、ぜひ見て下さい。
震災によって福島の抱える悲しみと、苦しみ。
その全てがここにあります。

www.youtube.com

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私はこの番組を見て泣いてしまいました。
その結果が冷静さを欠いた昨日の文章です。
意味が解らなかった方もあったかと思います。
申し訳ありませんでした。
正直、復興は並大抵のことではないと思います。
原発が落ち着くまで、落ち着いてから村を再建できるまでいったいどれほどの時間がかかるか、解りません。

でも、いつか、いつかDASH村が再び再興される日が来ることを祈り願っています。

その時が福島が本当に復興した時だと思うのです。

チェルノブイリから25年

チェルノブイリの事故が起きたのは今から25年前の4月25日であったと聞きます。
その当時、私はまだ子供と言える時期。
あまり記憶にも残っていませんが、ただ、避難地域となったエリアに残り続ける人がいると言う事が理解できなかったことだけは覚えています。

それから25年。 私達自身がまさかそれに近い立場になるとは思ってもいませんでしたが、得体の知れない放射性物質という幽霊のようなものに付きまとわれる不安の日々はまだ続いています。
環境放射能は微減の傾向を保ちつつ誤差の範囲内で上下をしていますが、急激に減少はしていません。
これは僅かずつでもまだ放射性物質が放出され続けているということなのでしょう。
いつ本当に安全になるのか、原発の安定化作業がまったく進んでいない今、先の見通しは全く見えません。
避難区域にある都路卵や都路牛の飼育は困難になったということで殺処分になったところもあるということでした。
昨日も話題にしたDASH村の特番では浪江で牛と養蜂をやっていらした方が
「三日に一度餌をやりに行く度に牛が死んでいる。もう牛小屋に入るのやんだ」
と悲しげに言っていました。
人間は逃げられても、動物達はそうはいかない。
避難の時に連れてこられず置き去りにされたペットが野生化している。あるいは餓死しているという話も良く聞きます。ニュースではなく現実として。
彼らや避難された方々を思えば私達など被災者顔などできませんが、不安な思いは消せません。

今回の事故はチェルノブイリと同じレベル7。けれど汚染のレベルはそれよりも低くてすむらしいとのことです。

今は本当に待つことしかできない。
まだ原発の事故による死亡者が0であるうちに、どうか事態が収束することを今は祈り続けます。


遠いチェルノブイリの人達の気持ちが、今は少し解ります。
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