「ごはん食べ屋さん」って、娘が作った言葉。
昨日は息子の1歳の記念撮影に行く時に「お写真撮り屋さん行くの?」って、新しい言葉ができた。
「屋さん」はまだまだ応用がありそうだ。
「ここに置いてといて」とか「〜してとこう」も、娘が作った。
関西弁の僕が「やっとく(やっておく)」とか「〜しとう(している)」とか、言うからかな。
いずれは正さないといけないのはわかってる。むしろ、放っておいても直るのかもしれない。
だから、忘れないようにしたい。
最近、娘を叱り過ぎだ。
「RSか百日咳かマイコプラズマか」、そんなお医者さんの診断を受けた娘。鼻も詰まって体調が悪いせいかもしれないけど、昨夜は、うなされて、見ていられないほどだった。
うなされて、わめくように発する言葉は、夢で僕に叱られているかのようだった。
反省しなければならない。
娘の心がどうにかなっちゃったらどうしよう。不安が押し寄せてきた。
僕がいくらきつく言っても、いくら怖い顔をしても、ふざけてしまったり、無視していたり。
特に食事中の態度には、受け流せない時がある。
だから、最近は手を出すこともあった。
1歳になった息子もそんな僕の様子を見ている。
二人に、ごめんね。
娘や息子の目線で話が出来る父になりたい。
どこで間違ったのか。もう一度最初から考えよう。
息子は、1歳になって、よく話すようになってきた。
話すといっても、感情にあわせて音を発するようになってきたということで、言葉や単語はまだまだ先だと思う。
その音について、息子は基本的に「コ」なのが面白い。
「ココ」や「コココォ」などで、たまには「クワッ」も出る。
ニワトリかドナルドダックのような感じ。
うちにはニワトリもいないし、ディズニーも観せていないのに不思議。
でも、感情はバッチリ伝わる。可愛い「ココォ?」でいっぱい話をしようと思う。
息子がハイハイするようになって、一番大変なのは間違いなく妻さんだ。
でも、娘もそれなりに大変な様子なのが意外であり、また、面白い。
自分のオモチャを使わせることに対する娘の拒否反応は驚くほどで、泣いて、悲鳴のような大きな声で訴えかける。
僕が「いいじゃない貸してあげようよ」って言っても、意地になってる状況では頑として貸そうとしない。
こういうときは、少し待つことにしてる。そうすればすんなり差し出してきたりする。
多分、自分のなかでも葛藤があるのだろう。
僕の家では、ハイハイで入って欲しくないゾーンには、一応のフェンスをつけている。
小さな雑貨や本棚などが危ないからなのだけれど、そこに、娘のオモチャも置いている。
フェンスが開いているときに、息子がハイハイを始めると、娘は「ダメー。来ちゃうよー。狙ってるよー」と言いながら泣きわめく。
見張り役としてはありがたいのだけど、そんなに泣かなくても、と思ってしまう。
ひょっとして、ケチなのかな。
一歳の息子がいないいないばーをするようになった。
やった後のどや顔が妻さんにはたまらないらしい。
僕もとっても可愛いと思う。
そして、僕たちが笑顔になることを喜んでくれる、そんな優しい気持ちがとても嬉しい。