適者生存(※)

対義語は自然淘汰。どの時代においても絶対的強者って事はなくその時代にたまたま適者になっているに過ぎない。それにしたって不公平だと思う事は沢山ある。この世にはなぁ公平なんてもんはねぇんだよって左馬刻様も言ってる事ですし(?)

元から持ってる性質、病気、災害事故。どうにか適者として泳いでると見せかけて実際は溺れないように必死って人は沢山いるんじゃないかと思う。私もそうだ。いやもう割と普通に溺れてる。痛い苦しい。でも誰にも言えない。

身体的にも精神的にも苦しい時、何で生まれてしまったんだ自我とはなんだってつい無駄な事考えてしまう。生物の本能的には死にたくないのに人間としては死にたいと常に思っている乖離がキツい。子供の頃から希死念慮。

幼稚園児の頃に描いてたアリが主人公の絵本の中に「遺書」って字があるのが個人的には笑い話なんだけど、よくよく考えたら病んでるどころじゃない。どんな子供だよ。確か当時一緒に暮らしていた叔母さんに、しぬ時書く手紙ってなんていうの!って聞いて描いた気がする。やな子供だな。特に当時病んでたわけでもなく深い意味もない。

しかし多分私の場合、どんな辛い状況突きつけられても自ら一思いに…はやはり勇気無くて無理だ。怖すぎて。まだその境地に達してないだけかもな。自ら死を選ぶ時にはもう恐怖心すら感じられない精神状態だと思うので。

よく動物、例えば猫ちゃんとかは死の概念が無いって聞く。本当なら羨ましいですね。猫ちゃんになりたい。野良じゃなくて猫が好きなあの人やその人に飼われて、作業してる目の前に行って邪魔をしたり、布団に潜り込んで一緒に寝たりしたい。そうして死の概念も分からないまま一生を終えたい。
それかやっぱりミドリムシ。





















〜どうでもいいこと〜

細胞分裂に失敗するミドリムシの動画とかを見ているとミドリムシはミドリムシで大変だとも思う